「食」と「住」 フォークとお皿

前回は自動車に例えて記したのですが

同様に再び「食」と「住」を考えてみたい。

 

わたしは「自然栽培」のお野菜を夕食にいただくと

明らかに翌日の午前中くらいまで調子がイイ感じがします。

「自然」と「栽培」とは真逆な言葉ですが、過酷な自然界を再現したような圃場を作って肥料を与えない。

肥料とは考えようによっては子どもの「あれ買って!これ買って!」をぜんぶ買い与えるような行為とも言えます。

可能性ある子どもなのに…それじゃろくな人間にならない。

 

こどもの喜ぶ顔がみたい…

それだけでいいのでしょうか。

 

だから肥料をせっせせっせ…それじゃぁやはり植物本来の力は得られない…ろくな大人にならない。

やはりある程度の「負荷」が、”いのち”を強く賢くするのだ。

 

「食」は最重要項目のひとつです。

冒頭で申し上げたように効果も早くわかりやすい。

春の七草を例に挙げると…

代謝が滞りがちな冬季に

”あく”の強い野草をいただくことによって体内の”あく”を排泄するという…

言わば”あく”をもって”あく”を制する。

今風に言えばデトックス効果を狙った「食」である。

素晴らしい。まさに知識ではなく知恵である。

われらには無い先人の凄さである。

 

このように「食の質」の違いによるデトックス効果などは

こんな時代だからこそ

オーガニックカフェなどで実践されている方々もいらっしゃるので

それらの方々に学び教わり続けたいものである。

 

そして前回記した「排気量」の話である。

わたしたちは多くの「力」を有しています。

免疫力

排泄力

思考力・記憶力

腕力・脚力…

このように…まぁ数えきれないほどの「○○力」を有しているのですが

行き過ぎた効率化による「住の素材」がひきおこす「住の空気の質」の変化によって

体内酸素吸引量が慢性的に減っていくことにより

その過程において

もし?…あらゆる「○○力」が数割減となっていっているのであれば!

「食の質の違い」によるありがたい恩恵だけでは足りない気がするのはわたしだけであろうか。

排泄力が通常100なのに

「空気の質」の違いによって排泄力が70しかない状況の継続が続いていたとしたら

春の七草が一時、その数値を90~100にまで押し上げてくださったとしても

「早い効果」は「戻りやすい」効果でもあるのでしょうから

翌日にジャンクフードを食べてしまっては…

すぐに70に戻るどころか、「食の質」の低下によって65…60と

もっと「○○力」が減っていくことも考えられます。

 

やはり「住の質」による「空気の質」の違いは

何が違ってくるのか?と言えば「すべて」であり

「地力」のようなモノであるように

わたしは考えています。

 

されど「食」は体内に取り込んでいる実感が

五感を通して認識しやすいので…

体内におかしなモノは入れたくないから

「食」に気をつければいけんじゃね…的な考えになって

それはまったくもって正しいんだけど…

「食」は最重要項目のひとつなんだけど…

 

「空気の吸引」に関しては認識しずらいし

その吸引した酸素は血液を通して全身を駆け巡り

脳、心臓…と極めてデリケートな部分に瞬時に到達してしまうことを

気に留めている人も少ないように思います

 

わたしは「食」にこだわる必要がないと言っているわけではございません。

そうではなく「食の質」だけで”いのち”が太く継続するという考えに無理はありませんか?

と問題提起しているのです。

 

わかりづらいでしょうがサッカーに例えるなら

「空気の質」はフィールドであり

「食の質」はボールのようなもので

両方必要なモノなのですが

領域が大きく異なるのです。

フィールドがあっても

ボールがなければサッカーはできないし

ボールだけあってストリートでサッカーをしていても

11人vs11人のサッカーの戦術やスライディングというスリリング技術は身につかないのです。

 

将棋盤と駒でもいいですし

フォークとお皿に例えてもいい。

 

何に効くのか?という考えではなく

すべての地力アップと維持には「(屋内)空気の質」が大きく関与していると

わたしは確信していて

その具体策としての【百年杉】なのです。