「百年杉」⇔「皮膚」脳機能維持

皮膚の話の続きである。

建築とは、たまたま杉を使う事がある…という業界であるのだが
以前も記したが、その中での杉の割合も5%なのか1%なのか…

されど杉を…「百年杉」を100%に捉えて継続していくと
見えてくるものがある。

ここに2枚の「木のしおり」がある。
白いモノをその部位と木目から「白柾(しろまさ)」
赤いモノをその部位と木目から「赤板(あかいた)」という名前をつけたとします。

(上が白柾。下が赤板)

 

この2枚はまったく同じ大きさ厚さなのですが…

目を閉じて何度触れ直しても
その「白柾(しろまさ)」と「赤板(あかいた)」を間違えようがないのだ。
100発100中で…
見ないで指先の感触のみでその存在を言い当てられるのだ。

我ながら、私たちが有する指先の1/1000ミリ識別能力は凄いのである。

そして前回その推論を記したように
「皮膚」は我々「貝殻」をすっ飛ばして、直接ヤドカリである「脳」に進言しているらしい。

このように「皮膚は考えている」のであれば
加齢による脳機能低下を避けるために
暗記やなんらかの脳トレーニングを課している人たちと同じ発想で…

「皮膚に1/1000ミリの凹凸の識別をさせて…
かつ触れて「好感触」と「ヤドカリ」である「脳」が感じるモノ…
…でそれらの行為をすることは充分に脳機能維持効果があるのではないだろうか。」

なにしろ「皮膚」と「脳」はどうやらホットラインでつながっていて

さらに「皮膚」が単なる高感度センサーではなく

独自に思考分析した「好状況~注意報~警報」として「脳」に「私たち」をすっ飛ばして連絡しているのであれば

どんな「私たち」が意識して実施する脳機能維持の為の策よりも効果は高そうではないだろうか。

 

もちろん、この「木のしおり」でもいいのだが
おそらく愛で過ぎて、厚み0.7ミリの「木のしおり」は早々に割れてしまうでしょうから
頑丈な「好適な感触で微細な凹凸」のある2個のモノがあって
それをいじって、2個のそれぞれの存在を100発百中で当てたり…
ただただニギニギするだけでも…
脳機能維持に役立つのではないだろうか?

現在、私の大切な友人が製作にトライしてくださっています。

以前にも記したが
我々が触れて好適な感触は「吸湿性」である。

「呼吸」しない素材はダメ。繰り返します。「吸わない」のは×。

 

私たちの指先より常に発している湿気を吸い取ってくれる素材が「好適」の肝である。
一見ツルツルでもガラスやビニルでは
触れた際に、指先から放出される湿気がベタベタして不快に感じてしまうのだ。

更に我々の「五感」は全てママの体内で完成しているのであるから
もっとも好適な触感は胎内より…内側より触れたママの人肌であるはずである。

ママの「肌触り」を安心・安全の触感として体内に刻み込んでそれと著しく異なる不快な感触を用心・不安全の触感という価値観を持って、そういう「”いのち”を太くする触感と削る触感」という価値観を持って私たちはこの世に出てきたのだ。

そう人肌は「吸湿性」があります。
その「人肌」以外の素材で最も人肌に近い触感の素材とは…

人肌のように…
温かく、柔らかく、しっとりとした素材
=これは単なる杉ではなく…精油分豊富な高樹齢な杉材=「百年杉」ということになるのである。さらには「木目」の年輪が明瞭であって、その年輪の個体差を1/1000ミリの凹凸の識別可能な指先が2個の違いを見ないで言い当てる事が可能な樹種となると、ヒノキでは年輪がおとなしすぎて、やはり杉という事になろう。

そう考えると「百年杉」の端材の有効利用というより

「百年杉」でなければ…

人肌に最も似た感触の木であって、更には明瞭な年輪の微細な凹凸がある木片に触れ続ける事

による脳機能維持という大きな恩恵にはならないようなのである。

皮膚

前回記した…我々はヤドカリの「貝殻」である。
多少考えはするのだが我々は「貝殻」であって「脳」が「宿主」であってヤドカリである。
「貝殻」である我々には策を講じられない事も
「脳」にはそれが可能であるのだ。
その話の続きである。

ここでは記さないので
弊社HPの「百年杉の八か条 第2条」の冒頭ををお読みいただきたい。
http://woody-katoh.com/choice/
まったく…
恐ろしい話。凄い話である。
「脳」による「種の保存」の為の母体を守る「策」への冷徹なジャッジメントである。

化学物質過敏症のほとんどの方が女性であることも
免疫性疾患(免疫力が自分の身体を攻撃してくる)に女性が多いのも
この妊婦さんの話の脳独自の選択の話とも関係があるのかもしれませんね。
母体が無くなれば種は絶えますからね。

脳は母体を守る為に何かの判断を独自にしているのだろうか。

このように「脳」にはヒューマニズムなどは無く
ただただ冷徹に「いのちが太くなるのか削られるのか?」という
ジャッジを繰り返しているようなのである。

さてそれでは前回記した
いったい福島第一原発で廃炉作業をしている作業員の方々の「脳」は
いったいどういう経路にて付近の放射性物質を探知したのであろうか?

まずやはり「貝殻」である我々の指先は
木の年輪の微細な凹凸という
およそ1/1000ミリの凹凸を感じる事のできる高感度センサーは有しているのですが
その指先でそこに放射性物質が存在するのかどうかの探知を自覚できません。

そして体内に入ってしまった放射性物質であるのなら
「脳」はそれを体外に出すようなデットクス「策」を講じるであろうが
鼻毛・耳毛のフル増産という「策」を講じるということは
いまだ体外にある放射性物質の侵入を妨げるための「策」である。

そうかんがえてみると
どこが「脳」というヤドカリに進言したのであろうか
「脳」は「貝殻」である「私たち」には不可能な
「具体策」を講じる事が可能なようなのだが
現状報告+危険性はどこが進言したのでろうかと考えてみると…
はやりそれは「皮膚」をおいてないのである。

私たちの自覚としての「五感」としては感ずることのできない放射性物質の存在を
「皮膚」は探知が可能であり、更には「貝殻」である「私たち」の五感を介さずに
直接ヤドカリである「脳」に伝えている。

そう…そういった「能力」を持たない「私たち」を通さずにスルーして
「皮膚」→「脳」で重大な判断をし続けているようなのである。

 

そう考えれば理解できるのではないだろうか。というかそう考えなければ理解できない。

空気の良い地方から進学・就職してきた方々もよく話される
「東京に出てきたら鼻毛が伸びるのが早くなった気がする。」というのも…

木工作業時や石・ブロック切断作業時に
おがくず・粉じんが舞う作業をしてると
鼻毛がたくさん伸びる気がするのも…

全ては「皮膚」が単なる高感度センサーではなく
更にその状況を分析して危険度を思考し
注意報や警報として「脳」に伝達して
司令塔たる「脳」が鼻毛増産という「策」を講じているのではないだろうか。
そう…「私たち」はそこに介在する機会はどうやら無いようなのである。
われわれ「貝殻」は無視なのである。

そう考えると【衣食住】の【衣】に関しても
単なる高感度雨雲レーダーではなく
まるで気象庁のように「皮膚」は思考しているのであれば

「皮膚」が心地よいと感じるであろう
オーガニックな素材を着衣とすることは大きな効果がありそうである。
特にインナーは常に直接「皮膚」に触れているのであるから
効果は絶大であろうか。赤ちゃんとか幼児は特に大きな差がつく感もある。

「可愛さ」だけでなく幼児の「皮膚」が好適ととらえる事が可能な【衣】という事である。

「思考可能な皮膚」が
不快なケミカルな【衣】に気を取られて
その能力の発揮にリミッターを装着させてしまう事だって考えられそうである。

考えてみれば臓器の移植は可能であっても
私たちは皮膚の移植は不可能である。

「皮膚」とは
現代社会の我々が思考するよりも
もっともっと「私たち」の心身に大きな影響を与える
思考する臓器のようなモノなのではないだろうか。

「皮膚」が好適ととらえれば
その報告を「脳」がキャッチ。
「脳」は全臓器~血管に対して…
「今のままでいいですよ~。Easy! 緊急時にはまた無理を頼むから
今は頑張り過ぎずにね~」という指令を送って
事はうまく回るのでしょうが…

我々の身体から発する湿気を吸湿しない素材に触れ続けていたり=現代住宅の床材
ケミカルな着衣がそうであったり
着衣より発せられる柔軟剤などの化学物質や
農薬・化学物質・放射性物質などなどを心身の周囲に察知した場合は…

「注意報・警報」を「脳」に進言して
「脳」がその危険準備状態を全身に伝えているのであれば
鼻孔や毛穴も収縮させて
呼吸は浅くなり、体内~脳への酸素流入量は減って(脳の主食は酸素)
自律神経や血管などの慢性的な過緊張状態が続くのでしょうからね。
それでは慢性的に様々な不都合な症状や新たな病魔が狙ってきそうですよね。

私たちはもっと「皮膚」に敬意を払った方がいいのではないだろうか。
【衣食住】の【衣】と【住】がその中心であろうか。

(参考文献 「皮膚は考える」 傳田光洋著)

ヤドカリ

昨日の拙話セミナーを終えてヘトヘトである。
毎日人前でしゃべる人って、どういうストロングな人間なんだろう。
今日のぼくは完投した先発ピッチャーのような疲労感である。

それでは昨日話した内容を…
書ける範囲で…振り返ってみたい。

かつての…「美味しんぼ騒動=福島の真実偏」の際の大手新聞社に載った…
「鼻血が出たなんて、自分もないし、見たことも聞いたことも無い…」という
ある意味私たちのヒーローである、現在、福島第一原発にて廃炉作業をしている作業員のコメント。

そしてその後の記述。

「ただし、自分も含めて皆、鼻毛と耳毛の伸び方が尋常じゃないんだ。」とのコメント。

「!!」

どうやら我々の「脳」は身体の付近に存在する放射性物質の存在を知り…
その吸引を防ぐべく、フィルター代わりに鼻毛生産のフル稼働を命じているようである。

我々は「ヤドカリ」に例えるのなら…
私たちは「貝殻」であって
脳は「ヤドカリ」。

確かに私たちは「考える」ことはするから
「考える貝殻」ではあるのだが…

私たちは鼻毛のフル増産がしたくてもそれを命じられない。
根本的な根源的な「命を太くするのか?削るのか?=衣食住」という
ジャッジメントをどうやら「脳」は実に冷徹に実行していて
更にそれらの具体策を講じられるのは私たちではなく「脳」なのであろう。

「百年杉」にて振り返ってみると
ベッド使用…リフォーム後の感想としての「いびきの軽減・消失」の方々…
もはや100例を超えたであろう
それらの方々の「現場の声」も
「脳」は現代建築内にほぼもれなく存在する
微弱な空気中の化学物質の存在を極端に恐れて
鼻孔と毛穴に閉じ気味の指令を出していた

酸素吸入量が少ない(呼吸が浅い状態の常態化)

身体中の全てが酸素を欲しているから、それが得られていない日常という事は
臓器・血管…すべての動作・能力を含めた「わたしのちから」が
おそらくは3割減とか…そういう状況なのだろう。

空気中に存在する「百年杉」の芳香を「脳」が探知。

その芳香(=精油分)を含む空気の鼻孔・皮膚よりの吸引を心身にプラスと判断

鼻孔・毛穴全開の指令を「脳」は命令して

大量の酸素が体内に流入。特に「脳」は酸素の大食漢ですからね。
脳を含む全身各所が欲しい「酸素」を入手できて
「わたしのからだ」はその年齢と時期なりの「100%」の状態を確保できたのでしょうね。

「百年杉」は何に効く?

という問いに対して
あれもこれも…と頂戴してきた
数えきれない「個人の感想」という各種の症状改善事例は
おそらく上記のような「変化」の結果なのであろう。

「食」でのデトックス効果~排泄促進などは
確かにそれらの「効果」も実感できますし
やはり「食」は最重要な分野のひとつなのであるが

それでも現代屋内空気質の中で
「わたしのからだ」の全性能が3割減?!の中での
「食」のデトックス効果であるのなら実にもったいない話である。

ようは「食」と「住」のどちらが大切か?ではなく
その領域を異にする話であって、両方とも大切なのである。そう…領域が異なるのだ。

侍JAPANの守備の要の二塁手の菊池選手は
今や全国区のスターであろうが

彼がいるからその後ろを守る外野が不要だという考えが
「食」だけ気をつければ「住」は何だっていいんだよ…という考えであろうか。

しかしいかに名手でも、取れない打球はあるし
それではロングヒットによる大量失点につながりかねない。

「食」のみによる酸素吸引量の増加というのも難しいであろうし
ヨガという「呼吸」も大切であり素晴らしいのであるが
皆が人生の1/3という長時間をそこで過ごす…
寝室の空気の違いによる鼻孔と毛穴の開閉という
「脳」の独自の選択があるのであれば
「住」に配慮無き寝室分の減らした酸素を全てリカバリーできる「呼吸法」も
なかなか難しいように思う。

そして
菊池選手を二塁手から後ろの外野に下げて外野手を増やすという考えが
「住」だけ気をつければ「食」なんてなんだっていいよ…という考えであろうか。

そうすると確かにロングヒットは減るでしょうが
二塁ベース付近のゴロは全て安打になってしまって
やはり毎回の失点は避けられそうもない。

やはり「食」という極めて早い効果とは長続きしない効果でもあるのであるが
体内に貯め込む事が好ましくない物質の速やかなご退場や
体内に吸収したい具体的な物質の積み重ねや
季節や年齢…状況による「食」の狙いの変化…アレンジ…などなど

菊池選手のような素早い守備の対応のような「食」への配慮も欠かせないのである。

そう考えると「食」は最重要項目のひとつではあるが
それだけでは到達できない領域がある事
そしてその具体策としての単なる杉ではなく「百年杉」という…
このセットでの「論拠を明らかにした推論」のアウトプットは
粘り強くやり続けていきたい。

「愛」

一般的に…
特に「環境」を一義に置く方々の中には
「人工林」を困ったモノとしてとらえ
「原生林」を素晴らしいモノとしてとらえる風潮があるように思います。
それらの価値観はある意味正しく、ある意味正しくないのですが
物事をシンプルにYES/NOにてカテゴライズしたい現代社会では
その「正しく…正しくない」という肝の部分があまり議論されていないのが
残念である。この辺りの「正解なき議論」のみが「私たち」を賢明にすると思うのだが…。

またまったく違った話ですが
木材としてのマテリアルとしての「木」に関しましても
「針葉樹は柔らかい⇔広葉樹は固い」
という素材特性の話から、柔らかい木を固くする技術だとか…
そういう話はあるのですが
これも木という栽培可能な生物を「素材」としてしか見ていない風潮を
いつも感じてしまいます。それは事実であり正しいのだがそれだけで木を見るなよ…という事である。

ようは「愛」が無いのだ。

杉SUGIと広葉樹の決定的な違いは
そこに人の情熱が宿っているという点である。

我が国では、広葉樹を木材生産を前提とする
計画植林がなされているケースはほぼ無いので
広葉樹の材の多くは、生えてきた木だったり、生えてきた木を残した木のはずである。
杉であれば50年や100年という…なんとか「見える世代」にての継承なのですが
広葉樹だと150年~300年の時がかかりますからね。

家に「百年杉」の床材がある。
という事は100年前に命がけで植えてくれた人が居るという事である。

【(仮称)江戸時代に生を受けた杉】であれば
まだお侍さんがいた時代に、この杉を植えてくれた人が居たという事である。

しかも高樹齢材はたまたまそうなったのではなく
狙って植えて…狙った施業をしてきた杉である。
そして「百年間」…更には江戸時代より現在まで…
ずーっとこの木の世話を適宜にし続けてきた方々がいるという事である。

百年後の…200年後の…この杉の収穫時には
自分はこの世にいないのを知っていて
それでも手を抜かず、「植えて育てて…夢は百年」だったのである。

このストーリーを子供に伝える事ができるのは
「百年杉」であり【(仮称)江戸時代に生を受けた杉】だからなハズである。

「感謝のできる人間」
「おごらずに足るを知る人間」
「人の気持ちがわかる人間」

親のそういった我が子の成長への願いに必要なのは
木目が印刷されたビニルの床や
そして広葉樹でもなく
やはり子育てには杉SUGIではないのだろうか。

「このビニルは安くて同一品質が可能であって…廃棄時には大気を汚し、木工品などの2次生産も不可能な…完成した瞬間、環境に負荷のかかる事が決定している床材なんだよ。」

原生林も素晴らしいのだが…
人工林には、今は亡き先人の情熱があり

広葉樹も素晴らしいのだが…
さらに手にした杉材には柔らかいだの固いだのというだけでなく
ここまで世代を通じて継承してきた物語がある。
そしてその継承のゴールの全ては…「あなたに喜んでもらう為だったのよ。」

我が子が得るものは実に大きいはずである。

杉が使えないのではなく
相変わらず「私たち」に愛が無いから
杉という「足るを知る」事を気づかせてくださる存在を生かせていないのである。

私にはひょっとしたらたくさんの「愛」があるのでろうか。
そうであるのなら、独り占めしないで
お分けしていく事にしよう。

あれから6年

あれから6年である。

自分にそういう所があったのかと

驚きもあるのだが、「あぁぼくはそういうヤツだったじゃないか…。」という気もします。

今朝は朝からなんだか泣きそうな感覚である。

 

あの日の事。

ああいうことがあったから会えた東北の友人。

ああいうことがあったからこそ、ずいぶんとマシになったぼく。

ああいうことがあったからこそ、知人が友人となって絆が深くなったこと。

 

本当に多くのヒトとコトを、今朝から想い出している。

 

ああいうことがあったのに、私たちは未だ成し得ていない事も多いのだけれど

そこは成し得てから、いなくなりたいものである。

 

最近、多くの友人より

「加藤がんばれ!」

「加藤頑張り過ぎるな!」と…

実にありがたき、お心…言葉を頂く機会がありまして

そして今日のこの感情につながっている。

 

悠々と急ぐこととしよう。

 

 

 

「(仮)「江戸時代に生を受けた杉」⑥ 鮭と杉…その入手法

新製品である
「(仮)江戸時代に生を受けた杉」の話に戻ります。

「百年杉」の上をいく最高品質の杉材です。
お金で買える限界点の杉です。
限界点の品質ですから限界点の効果・効能が期待できます。

(新製品イメージ)

 

●使用用途としましては、身近に置いて、その触感と芳香を介しまして
様々な「杉の効能」を享受していただきたいので
床材・壁材という事になります。
●材の寸法は使用したい場所を考慮して決定致します。

●販売先は基本的に施主予定者さまとさせていただき(建築業界プロの方々が最高品質の杉をお使いにならない理由は前回までのブログで記して参りました。私どもはこのような価値ある日本の財産たる杉SUGIの価値をご理解いただいて更に求めてくださる方々とつながらせていただきたいと考えています)

使用予定場所にうまく収まる為の各種の「打ち合わせ」は
設計・施工者であるプロの方々と我々が直接お打合せをさせていただきます。
施主予定者さまはご使用希望場所をお伝えいただければOKです。

●「見積もり価格」を提示させていただきます。
最高品質の杉材ですから価格も安くはございませんので
限定的な小規模な使用…寝室だけ…リビングだけ…などでもOKです。
その他は価格相対的的には安価になる「百年杉」にして
ご予算のバランスをとっていただくなどの判断をしていただければと存じます。

 

ただし…ご入手までに実に大きな枠組みがございます。

鮭が帰ってくる時期…遡上は9月~11月期に限定されます。
これは誰にも変えられません。どんなにお金を使っても無理ですよね。

この「(仮称)江戸時代に生を受けた杉」の原木入手時期も
1月~3月くらいに限定されます。

こういう超高品質高樹齢材を…
水分を大量に吸い上げて、しかも幹の中に大量に保有している夏期に伐る事は原則的にあり得ません。
伐期は9月~12月くらいで

これだけの高樹齢材はたくさん存在しませんし、そうそう伐られませんから
伐採計画の情報は早々に里に下りて
高樹齢材を欲する限られた製材所に伝えられます。
森林所有者は価値ある杉を高価に買ってもらいたいので
たくさんの業者に関心を持ってもらいたいのです。
我々はその情報を順次入手しながら
丸太の映像などを見たりしながら、丸太購入への工程と手段を練ります。

伐採された超高樹齢材は、そこから「葉枯らし」放置されて乾燥進行を促進させて…
丸太が里に下りてくるのは1月~3月になります。

「丸太はオバケ」です。
外観からは価値あるように見えても中身が、からっきしの場合も多々ございますので
とてもじゃありませんが立木では買えません。リスクが大きい。

 

築地の仲買人さんが

マグロの品質を尾を切った部位をみて品定めをしてますよね。

あれと同じ。「見なきゃ買えない。」

 

山単位にて一帯の杉全部!…という買い方もあるのですが、それらは我々のアプローチとはまた違ったスタイルでして

ピンキリの玉石混合の素材全てを買う事によってその先の選別を進める考え方なのですが

我々はまるでマグロの一本釣りのように

ピンポイントで最高品質の超高樹齢材を狙っていくアプローチなのです。

あくまでも高品質至上主義なのです。

 

「産地が●●だから良い」とか「葉枯らし材だから良い」などの過程の評価ではなく
結果主義なのです。品質第一主義なのです。

 

そしてそれらの超高樹齢杉材が製品となるのは早くても4月中旬くらい。

「(仮称)江戸時代に生を受けた杉」のお申込みのご相談が仮に5月頃であったのなら
約1年後の納材となる製品なのです。

何でもかんでもスマホで申し込んで即!ゲットの時代である現代人には信じられないでしょうが
「(仮称)江戸時代に生を受けた杉」はそういう製品ですし…

「杉で健康」→「最高の杉とは?」→「高樹齢材」→「入手可能限界点は?」→「樹齢150年~250年が限界」→「それらの入手方法は?」

…とトレースしていきますと
このような入手ローテーションになるのです。

それでも
ご自分で植林されて150年後を待つよりは早い入手ですし
150年~250年の生命力を宿すためには
まるで自然界の実生の木の状態のような
キビシイ環境の創造たる超密植植林が必要でしょうし
という事は…150年間に渡る5回~10回の間伐作業も必要になってきます。

そう考えますと…
江戸時代の人が150年後~200年後の伐採を見込んで植えた
「江戸時代に生を受けた杉」がわずか1年で入手できる事なんて
非常に容易にしたシステムだと感じてはいただけませんでしょうか。

住まいの主役は「木」であって
更にそこに「杉SUGI」を見出してくださる方であって
そしてそして近未来に【住まいづくり】をお考えの方は

たった「4畳半ひとつの床材」だけであっても
ご検討いただきたいのですがいかがでしょうか。

最高品質の杉が使われない理由④「ラスト おれのおれの俺の話を聞け~」

私は永らく…
なぜ?建築業界はお施主さまの【住】の違いによる「心身」ですとか…
そういった「おせっかい」を焼かないのかが不思議でなりませんでした。

というより【住の違いによる心身】のようなカテゴリーについて
なぜ?建築業界の人間じたいが【空気と身体】のような事にコミットしていかないのかが不思議だったのですが

ある時、理解できました。
これまで記してきたように
建築業界は「私たち(=市民・消費者)」のスキル不足によって
日々、こっぴどい目にあわされていますので
「私たち(=市民・消費者)」の「住と健康」のような事を
一般的に深く考える習性を持ち合わせていないのですね。きっと。
そこまでお人よしには、やはりなり得ない。
「私たち」のスキルアップにわざわざ無償で貢献し…
そこからお仕事をするような事はなかなかできるものではありません。

そうであるのなら
「私たち」の足りないスキルにあわせて…
「はいそうですね。」と相槌をうちながら
何となく雰囲気を合わせながら仕事を進める方が得策なのでしょうし
それどころか、変に「正義感」を持って介入することは、お仕事として危険でもあるようにも思います。

それに「高品質の杉」による恩恵が発揮されたとしても
それらのお手柄は「杉」になってしまいますからね。
(弊社はそれが本望なのですが、そこも大きく違います)
それでは会社の特色にはなりません。
それよりわがまま言っていた依頼者の仕事を
ちゃんと完了した良い会社の評価の方が得たいでしょうからね。
はやりつくづく…最高品質の杉を建築業界のプロは絶対に使わないのですね。

その結果、やはり「木の価値の復権」はなかなか、かなわないのです。

林材業界人は目先の購入者である建築のプロに対して盛んに尻尾を振るのですが
建築業界は「最高の木」を誰も求めていませんからね。

なにしろ使われる木(杉)は一流のタイトルホルダーのようなエース格ではなく
1軍~2軍選手を行き来するかのような…
ソコソコの選手ばかりを求められ続けているのですからね。

「最高な木材は不要。ソコソコな品質であって、ロス無く、その全部が使用可能なモノを指定した日時に納入してください。」という
建築業界の要求は…在庫せずにロス無き要望になりますから

その結果、林材業界が適正な収益を得るのは大変ですし → 更にはいつまでたっても「私たち」は最高品質の木に触れる機会はありませんから…→「やっぱ木って凄いや!」→「木が欲しい」というマーケットはいつまでたっても創られないのではないでしょうか。

ある設計士さんに言われた言葉です。
「設計全体から見れば、杉は(全体の仕事量の中では)5%も無いくらい…1%もあるかないかだ。それを君は100%だと言う。それは凄い事だよ。」

我ながら、まるで熱量が違うのである。
それだけ違えば「結果」だって変わってくるのも当然である。

【衣食住】のうち
現代社会は「食」のみが突出して留意されている印象を持ちます。
「食」は確かに大切な最重要な項目のひとつであるのですが
「食」に関する注意だけでは到達不可能なエリアがある事が私には見えてきました。

「杉があればいいのさ…ではなく…
皮肉にもここまで極端な現代の【住】環境では
【高品質の杉】でなければ到達・変革できない領域がある。」

という事です。

お子さん、お孫さんの成長の見えない天井の壁を取り除いてくれる【住】の素材。
大切なご両親や自分たちが自分らしく天に召される為の【住】の素材。

脳の創造と維持には睡眠が重要なのですが
睡眠には香り。香りは樹齢…だから「百年杉」。
安価な低樹齢の杉ではとうてい達成できない効果なのにね。

確かに「住まい」の中での「快感~あまやかしと健康」など
この10年間に考えさせられる事は数多くありまして…簡単ではありません。

「住まいと心身」に関しての一定のスキルを有するには
ある程度の経験年齢も必要であり…

されど皆が60歳以上になってからの住宅取得という訳にもいきませんので
「住まいの空気の違い」による各種の症状改善を狙うという
言わば【衣食住の「住」の食】たる空気の違いの話は
講師料不要ですので、私を呼んでいただく事が最も考え始めやすい事のひとつではないでしょうか。

「いのちを太くする衣食住」
そして残念ながら存在する「いのちを削る衣食住」
その中でいのちを太くする「住」を考えるには
皮肉にもいったん「建築」というカテゴリーを抜け出して
「金本位制度(きんほんいせいど)」ならぬ「木本位」…
いや大真面目に「杉本位制度」から考えなければ、どうやら到達できないようなのである。
(読んでてチンプンカンプンでしょうが、ぼくの話を聞けばわかるって… 笑顔)
【衣食住リテラシー】ともいうべき
私たち市民自身の【衣食住識字率】の向上しか、どうやら方法はないようなのである。
その為に「日本一の杉バカ男」の私をうまい事、利用していただきたいものなのである。

聞いてもらえればわかるのですが
【杉と住まいの空気】を知る事によって
私はバランス良く【命を太くする衣食住】を体内に取り込む機会を狙っているのである。
杉だけじゃないのである。けれども杉SUGIは重要なきっかけなのである。

(蛇足)
木は農水省~林野庁の管轄でありますが
木がたくさん使われる【住】は国土交通省です。

ですから農水省~林野庁のご指導をいただく人々は
どうしても技術に走りがちである。
森のいじり方~木材のつくり方…
これらは「お勉強のやり方」や「1日の中でのお勉強時間」のような議論であり
だからと言って、その出口~結果の「受験合格」が確約されている訳ではない。

自然乾燥、人工乾燥、低温乾燥、葉枯らし、8回挽き、月齢伐採、地域材、自伐林業、皮むき間伐…これらすべては「手法」や「アプローチ」であって「結果」ではない。
そう…高品質を保証するものでは無いのだ。

これらの手法が良い悪いではなく
これらの手法によって生産された木材がいったいどの程度の品質なのか?
という所が重要だと私は言いたいのです。

意地悪に言い返せば…
「だから何なの?この程度の木材を使ってて、まるで最高品質のような“うたい文句”はちょっとどうなのよ。」
…という事もありうるのである。

勉強したから…努力したからみんな合格ではないはずである。

そして「森の恵み」の大量の出口たる建築業界と国土交通省から見れば
「建築全体からみれば“木”なんて“杉”なんて1%にも…」という前述の分析通り
そこに木や…まして杉にコミットする熱量は無いのである。

繰り返します。

木の恩恵の度合いの目安は「香り」。
「香り」の無い木の恩恵なんて、たかが知れています。
香りで選べば杉。
香りの濃厚さは樹齢に比例。
だから「百年杉」。
そして「(仮称)江戸時代に生を受けた杉」。

けれどもこれらの高品質杉はプロ任せにせずに
ご自分で入手しなければ、手に入れられない時代なのです。
それが証拠に、すでに「食」がそうではないか。

最高品質の杉が使われない理由③ 「不思議な予算」

建築のご予算は実に不思議です。

世の中には良い人も悪い人も普通の人もいるのでしょうが
良い人のお家の場合も…
悪い人のお家の場合も…
普通の人のお家の場合も…必ず予算が足りないのです。

金額も関係ありません。
1億円の物件も…
5千万円の話も…
100万円の話の場合も…必ず予算が足りないのです。
不思議な話です。

弊社は「床が変われば人生が変わる。」と言っています。
いわゆる素材の違いによって
人生の約9割を屋内で過ごす我々は実に大きな影響を受けると弊社は考えています。
「床はあればいい。」のではなく「床が何なのか?」
「ベッドがあればいい。」のではなく「ベッドは何でできているのか?」…
が大きな問題であり違いであると弊社は考えています。

そして「設計・施工の考え方の違い」

「誰が安く、どこが高い…」

それは比較する対象者の建築に関します「考え方×行動」が
まったく同じ場合には有効なのでしょうが
建築は他のモノに比較してライフも長く
メンテナンス時のコストや更には冗長性など…
設計・施工者の考え方によってまったく違うどころか
違いすぎる世界のはずです。

数字の「高い安い」ではなく
「高い理由と安いわけ」をちゃんと識字できる能力が
どうやら「私たち」には決定的に不足しているようなのです。
そこまでは前回記しました。

「建築は価格が不透明でわかりづらい。」との話をよく耳にします。
けれどもそれは当然の事です。
各社によってスタンダードや最低限のレベル~ライフの概念がまるで違うのです。

正確には…

「建築は明細が透明であっても、私たちには理解しづらい。」
…が正しいのではないでしょうか。

このように「私たち」のスキル不足によって
(果たしてそのスキルを1次取得層たる30代後半までに得る事が可能な人はどんな人なのであろうか?
…非常に困難なのでは…という問題はあるのだが…)

建築業界はその結果として
実務として…
どのようなお仕事をしているかと言いますと
いわゆる「減額案」作りが日常の作業となっています。
ほぼ全てのプロがこの作業をするのが日常でしょう。

私たち(=市民・消費者)の要望を聞いて「見積もり」を作成すると
1,200万円~下手したら1,400万円のご要望なのに…
それなのに「ご予算」は1,000万円。
そのギャップを埋める作業が「減額案作り」です。

ただ素材を安くすればいいという訳ではありません。
素材は安くなるけど、逆に技術料としての施工費がアップしてしまう場合もありますから
「減額案作り」はプロとしての経験値がなければできない作業です。
そういったスキルを有するプロの方々が…
無償(タダ)で…
自分の売り上げや経常利益が下がる作業を
毎日毎日一所懸命にやっているのが現状の建築業界です。
なかなかhappyな感じがしないでしょ。可哀想ですよね。

そして建築業界は金額と依頼者の数が特殊な業界でもあります。
年間、10件の依頼者と個々に2,000万円の契約をすれば
年間の売り上げが2億円になります。

たった10人のお客様で年間の売り上げが2億円だなんて
飲食業の方からすると
1日のランチタイムの人数以下でしょうからね。理解の範疇を超えているでしょうね。

そしてたった1件の依頼者との契約が未達成になっただけで
売り上げ1割減!年商2000万円減!!
…というある意味凄い事になっちゃう業界ですからね。

結論といたしまして…
ほとんどの「私たち(=市民・消費者)」は
建築のほぼ全てと言ってもいい材(素材)と工(技術)の
その両方の差異と選択についての重要性に関するスキルを有していません。

そうなりますと水はやはり低きに流れますから…
ご予算金額だけは安き金額提示の業者さんに引っ張られます。
そう…「素材は何でもいい。10年保証なら10年と1日モテばいい」
…という考え方の方ですね。

「私たち=市民」のスキルアップ養成をするという事は
さらなるタダ働きですから、それをする猛者もさすがにいないでしょうからね。
結果、お仕事を断らずに「なんとか減額案を作ります。」という作業を
建築業界は皆選択しています。

建築業界を「お弁当屋さん」に例えてみましょう。
あなたはお弁当屋さんです。
お弁当はワンコインの500円の「のり弁当」から1,000円の「スペシャル弁当」まで数種類用意しています。

さぁ昼になりました。
お客様がみえました。

「ハンバーグ弁当をください。」
「はい、ありがとうございます。700円になります。」
「すいません。お金は500円しかありません。」
「それでは“のり弁当”はいかがですか?そちらは500円になっています。」
「すいません、どうしてもハンバーグが食べたいのです。」

ここで「他のお店をあたってください。」とか
「残金の200円を明日に持ってきてください。」とは建築業界は言わないのです。

「それでは、この3個入っているミートボールを無しにして500円というのはいかがでしょうか?」
「すいません。言い忘れましたが、ミートボールは譲れないのです。“しば漬け”不要ではいかがでしょうか?」
「“しば漬け”だけで200円も値引きはできません。困りましたね~。」
「あぁ、今、他のお弁当屋さんから、“しば漬け”のみで500円OKが出ましたので、ごめんなさい。
このハンバーグ弁当はいりません。それでは失礼いたします。」

並んでいる全員のお客さんがこの調子なのです。
それでも弁当を売るのが建築業界なのです。

うちのハンバーグは国産肉にこだわってるのに…とか
添加物や化学調味料を…などのこだわりなんて関係ないのです。
【食】のプロがこだわれるのは、ほぼほぼ皆、【食】に関してはプロであり
「私たち」皆が、それなりのスキルを有しているからなのである。

建築業界は様々な「こだわり」を発信しながらも
その「こだわり」の維持が実に困難な業種なのです。

私たち(=市民・消費者)のスキル不足によって
「こだわり」とは真逆の、ぼかした…ごまかしたような減額案作りを
毎日毎日させられている大変な方々なのです。

以前の消費税アップ前の「駆け込み特需」の頃に…
多数のお問い合わせいただいた「百年杉」床材のうち
設計会社・工務店という建築業界プロからの問い合わせ10件のうち
ご購入はたったの1件。
それに対しまして、お施主様よりの直接のお問い合わせは
その全てがご購入いただいた事を経験致しまして…

畦地製材所さんと弊社による「プロは敵か味方か?」という議論をした事があったのですが
我々の結論としましては…
敵味方というより、建築業界の方々は「私たち」のスキル不足による大変なご職業という認識となりました。

その結果…
「【高樹齢の最高品質の杉】を使うだなんてとんでもない!!
予算削減案はまずは床から!!(最も簡単な減額作業ですしね)
ほどほどの杉、そこそこの杉、お客が杉を望むのなら、杉に変わりは無いんだから…安価な杉を探すまでさ。」という事がいつものように…
あの頃もおこなわれていただけの事なのでしょうね。

【百年杉】やそれを上回る【江戸時代に生を受けた杉】といった
【最高品質の杉】は
私たち市民=消費者が自ら弊社にご発注いただかなければ入手は困難なのです。

私が【百年杉の10年】としまして、セミナーなのでお話しさせていただいている
【百年杉】を身近に置いていただいた方々の各種の症状改善の「個人の感想」は
その全てが「最高品質の杉=最高に香りが濃厚な杉」にこだわったケースですので

「他の杉だとダメなんでしょうか?」という事をよく聞かれますが
そのお答えとしましては、決して意地悪ではなく
「やったことがないので知りません。」ということになりまして…

その心といたしましては
「素材の違いで、品質の違いで…人生変わるんだよ。」という冒頭の言葉に戻るのです。

最高品質の杉が使われない理由②「考え方の選択」

前回よりの続きである。

さらに申し上げるのなら「私たち」は…
建築の素材以外の部分=「人間の建築に対する考え方の違い」も、ほぼ理解できていません。
何度も同じ話を致しますが
このお話の主語である「私たち」とは市民であり消費者である我々の事です。

素材以外の施工・技術という部分は
人の考え方がモロに出る部分です。
「10年保証」であれば…「10年と1日モテばいいんだ。」という考え方の人もいれば
自分が死んだ後の大改修時の事を考えて“おせっかい”をやく人もいます。

西岡常一氏が著書の中で
お寺の大改修時に屋根だるきが内側に伸ばして仕込まれていて
それを外に伸ばすだけで施工が実に助かったというような記述があります。
何百年も前の大工さんは
「それくらいやっとけば、(数百年後の)後々の仕事が楽だろう」という発想なのでしょう。
その結果が、木を植えて伐らせていただいて使うという持続可能なサイクルにつながっています。

「10年と1日モテばさん」とは考え方が大きく違います。
(さりとて、この考え方も逸脱ではなく順守している。手抜きではない。誠に人の考えは多様なり。)

ある意味

技術は二の次のような考えを私は持っています。

技術うんぬんというより
何を持って成功・達成と考えるのか?…どこまで…
という所が大きく違うように思うのです。
「人間性」という言葉が一番近いかもしれない。

建築はライフが長いので
これらの「考え方」の違いで建築のライフも大きく変わってきます。

さらに西岡氏は仕事が無くても民家住宅の仕事をしない理由を…
手が汚れるというか…
「あと2割(費用を)かけたら、倍長持ちしまっせと言っても、その2割を惜しむ。
それでは山にいくら木があっても足りはしない。」のような事をおしゃっています。
(確認せずに“記憶”で書いてますから、細かい表現の違いはご容赦ください)
これもとても深いお言葉です。

「長持ちしますよ。」
「何言ってんだい!その頃には(私は)死んでるから関係ないよ。安けりゃいいんだよ。」

「私たち」がこういう考えになれば
建築業界のプロだって、はたをらくにする…はたらく…仕事とは何なんだろう?
どこまでを考えればいいのであろう…
などという「答え無き答え」を模索などする習慣など持ち合わせずに…

「つべこべ言わずに考えずに、サクサク言われたことだけをやればいいんだ。」との考え方になっていきます。

「私たち」のスキル不足がプロの劣化を促進していきます。

 

施主の独りよがりの欲望に付き合っていては
「大切なモノを無くしてしまうから…」民家の仕事は絶対にしない。
「大切なモノを無くしてしまっては、宮大工でいられない。」とは
彼の本心だったことでしょう。

そしてその結果
「素材の違い」
「施工への考え方の違い」
という二つの大きな選択による差異に気づくスキルを有しない私たちは
「結局、どこに頼んだって同じでしょ。」という考えになって…
水は低きに流れますから…相見積もりをして
結果、最も安価である…「10年+1日さん」の考えに近い会社に依頼する事となります。

「【住】環境の変化による、依頼者の長期に渡る心身の健康」などという…
契約書には含まれていない“おせっかい”を焼きながら
仕事をする建築業界の人がほとんどいないのは、ある意味当然の事です。

なにしろ「私たち」自身が
【住】の違いによる心身や健康に関しての
価値観や所感を持っていないのですからね。

「猫に小判」では言い過ぎかもしれませんが

「私たち」が建築のほぼ全てである

「素材の選択」(前回記しました)と「人間の(考え方の)選択」という両方の選択をする人間力を持ちえない限り

本当に得をするような建築素材(=何を持って得と考えるのか?がわからなければ得られまい)

を良心ある建築のプロが、子に諭すように、無償で教示する事もあるまい。

つくづく「最高品質の杉」など使われることも無いのである。

 

【住まい】は「買う」ものではなく「造る」ものであって

それを具体的に言えば「何を使って誰に作ってもらうのか?」が全てであろう。

そこに留意できなければ、「家族の幸せ」の後ろ支えとなる【住】への到達は難しいのではないだろうか。

 

そして杉も誰から「買う」のかが、肝要に思うのである。

私ほど、杉に関する知識ではなく「知恵」を有している人間はいないのでは…と最近自覚し始めており

「杉の恩恵」を頂きたいのであれば

たとえ遠くにお住まいでも、弊社からお買い上げいただく事が良いように思います。

 

杉という素材の品質もそうなのですが

モノだけを欲さずに「どういう考え方の人間から買うのか?」は大きな選択だと思うのであります。

大きな器の中で幸せを感じることのできないような…

「求める」ばかりで「与えない」人から杉を買っては…

風水ではありませんが

どんどんhappyもluckyも吸い取られていきそうです。

たまーに…「あの人元気かなぁ…」と自分の事を思い出してくれて…

そんな際にhappyやluckyもおすそ分けのようにやってくると私は考えています。

 

まぁ私がそういう人間足るかは他者の判断にゆだねるとして

「自分の幸せばっかさん」や不勉強な「自分の事でいっぱいいっぱいさん」とのお付き合いからでは

happyは得られそうもないように思うのです。

 

こうやって書き記していくと
実に私=加藤政実は上から目線で書き綴っておりますが…
私は、たまたま「杉の素晴らしさの探求」という分野においての熱量の持続があったから
様々な分野の達人に出会い…
それらの方々の皆が知らない「杉SUGI」の素晴らしき可能性を語り続け…
それを面白がってくださる…衣、食、医、游…の達人の方々から
かわりに多くの事を教えていただき
まるで【衣食住】の最短距離の10年を突っ走って
現在に至る、極めてラッキーな人間であるだけのことである。

たまたまなのである。

そう…誰でも「一芸!」があるのなら、10年くらいあれば身につくもののはずである。

最高品質の杉が使われない理由①「素材の選択」

以前記したのですが
建築において、高品質の杉がさっぱり使われない理由を
順を追って記してみたい。
弊社の「百年杉」…
そしてさらに高品質な、「(仮称)江戸時代に生を受けた杉」は
原則的にご自分で買わないと入手できません。

なぜなら
建築業界は最高品質の【杉】を使わないからです。

以降は、その構造的な理由を記していきたいと思います。

以降の主語の「私たち」とは文字通り…私たち=市民・消費者=施主予定者の事です。

建築における施主予定者の方々とは年代が多様です。
2世帯住宅の場合…早ければ20代。
住宅1次取得者層は30代後半。
そして大規模リフォームを含む60代よりの終の棲家としてのお施主様…。
そう…お施主予定者の方とは…
年代としては特定できない…それこそ多様な世代を超えた「私たち」なのです。

さて本題。

「なぜ?建築業界は最高品質の木(杉)を使わないのでしょうか?
どうして?最高の【杉】を避けて、ソコソコの杉以下の品質ばかり使いたがるのでしょうか?」

結論といたしまして申し上げますとそれは、「私たち」のスキル不足にあります。
もう一度繰り返しますが
この場合の「私たち」とは私たち市民であり、消費者であります。

私が繰り返して申し上げているSUGI話は

要約するのならば
「素材の選択」によって人生が変わるよ!というような話です。

 

最高品質たる「百年杉」やそれ以上の高品質の江戸時代の杉…
若年樹齢の香りに劣る杉や50℃以上の状態を一定時間経過させて精油分が揮発してしまって香りが少ない杉…
杉の木目が印刷されたビニル製品…

似たように見えても…この3者択一で人生が変わるよ!
…というのが私の考えです。

それは和食の考え方に似ています。
「素材の選択」時にすでに勝負はついているという考え方です。
1年を36の旬に分けて、「旬」の素材を選択した時点で勝負は決しているという考えです。

それに対して欧米の考え方は
「素材の選択はたいしたことでは無い。」という考えです。

「どんな素材であっても、そこに人間の情熱と技巧によって息吹が吹き込まれていくのだ。」という考え方です。

どちらが正しいというより自然に対しての考え方~受け止め方の違いがそこに現れています。

和食の達人の方々が皆口をそろえます。
「いくら人間が技巧を発揮しても、素材の違い~優劣を凌駕する事はできません。

人間が自然界を上回る事なんてありえないのです。」

 

ミシュラン三ツ星の…数寄屋橋の「次郎」にお寿司を食べに行ったとします。

どんな方でも、その五感を発揮して「美味しい!」と思う事でしょう。
常日頃からジャンクな【食】ばかりの人だって
「食べたことのない味だ!」と絶賛する事でしょう。

そう我々は【食】に関しては皆、一定のスキルを有しているのです。
同じメニューであっても
その品質や技巧の違いによる
価値や価格の差異を理解できるスキルを私たちは持っています。

けれども建築の「素材の違い~種類と品質」に関しては
「私たち」はそれらを理解できるスキルを有していません。

【住まい】における…

素材のチョイスの重要性。
同一素材の中での品質チェックの重要性。

これらを理解できないのですから、素材は永久に…ただただ安価なモノになっていきます。

このようの「私たち」が住まいの素材の選択の重要性を認識していないのですから
木は使われなくなりますし、ましてや更には高品質の木(杉)なんて…建築業界が関心を持つはずがございません。

何しろ、お施主様ご自身が関心がないんですからね。

 

「素材の選択」と「同一素材の中での品質チェック」の重要性を理解しながらも

自分は「木の目利き」でない事を自覚している方々のみが

弊社のHPや私のブログを読みながら、未来に備えているのかもしれません。

(つづく)