『百年杉』の専門会社 加藤木材

最高品質の杉が使われない理由②「考え方の選択」

『百年杉』の専門会社 加藤木材

前回よりの続きである。

さらに申し上げるのなら「私たち」は…
建築の素材以外の部分=「人間の建築に対する考え方の違い」も、ほぼ理解できていません。
何度も同じ話を致しますが
このお話の主語である「私たち」とは市民であり消費者である我々の事です。

素材以外の施工・技術という部分は
人の考え方がモロに出る部分です。
「10年保証」であれば…「10年と1日モテばいいんだ。」という考え方の人もいれば
自分が死んだ後の大改修時の事を考えて“おせっかい”をやく人もいます。

西岡常一氏が著書の中で
お寺の大改修時に屋根だるきが内側に伸ばして仕込まれていて
それを外に伸ばすだけで施工が実に助かったというような記述があります。
何百年も前の大工さんは
「それくらいやっとけば、(数百年後の)後々の仕事が楽だろう」という発想なのでしょう。
その結果が、木を植えて伐らせていただいて使うという持続可能なサイクルにつながっています。

「10年と1日モテばさん」とは考え方が大きく違います。
(さりとて、この考え方も逸脱ではなく順守している。手抜きではない。誠に人の考えは多様なり。)

ある意味

技術は二の次のような考えを私は持っています。

技術うんぬんというより
何を持って成功・達成と考えるのか?…どこまで…
という所が大きく違うように思うのです。
「人間性」という言葉が一番近いかもしれない。

建築はライフが長いので
これらの「考え方」の違いで建築のライフも大きく変わってきます。

さらに西岡氏は仕事が無くても民家住宅の仕事をしない理由を…
手が汚れるというか…
「あと2割(費用を)かけたら、倍長持ちしまっせと言っても、その2割を惜しむ。
それでは山にいくら木があっても足りはしない。」のような事をおしゃっています。
(確認せずに“記憶”で書いてますから、細かい表現の違いはご容赦ください)
これもとても深いお言葉です。

「長持ちしますよ。」
「何言ってんだい!その頃には(私は)死んでるから関係ないよ。安けりゃいいんだよ。」

「私たち」がこういう考えになれば
建築業界のプロだって、はたをらくにする…はたらく…仕事とは何なんだろう?
どこまでを考えればいいのであろう…
などという「答え無き答え」を模索などする習慣など持ち合わせずに…

「つべこべ言わずに考えずに、サクサク言われたことだけをやればいいんだ。」との考え方になっていきます。

「私たち」のスキル不足がプロの劣化を促進していきます。

 

施主の独りよがりの欲望に付き合っていては
「大切なモノを無くしてしまうから…」民家の仕事は絶対にしない。
「大切なモノを無くしてしまっては、宮大工でいられない。」とは
彼の本心だったことでしょう。

そしてその結果
「素材の違い」
「施工への考え方の違い」
という二つの大きな選択による差異に気づくスキルを有しない私たちは
「結局、どこに頼んだって同じでしょ。」という考えになって…
水は低きに流れますから…相見積もりをして
結果、最も安価である…「10年+1日さん」の考えに近い会社に依頼する事となります。

「【住】環境の変化による、依頼者の長期に渡る心身の健康」などという…
契約書には含まれていない“おせっかい”を焼きながら
仕事をする建築業界の人がほとんどいないのは、ある意味当然の事です。

なにしろ「私たち」自身が
【住】の違いによる心身や健康に関しての
価値観や所感を持っていないのですからね。

「猫に小判」では言い過ぎかもしれませんが

「私たち」が建築のほぼ全てである

「素材の選択」(前回記しました)と「人間の(考え方の)選択」という両方の選択をする人間力を持ちえない限り

本当に得をするような建築素材(=何を持って得と考えるのか?がわからなければ得られまい)

を良心ある建築のプロが、子に諭すように、無償で教示する事もあるまい。

つくづく「最高品質の杉」など使われることも無いのである。

 

【住まい】は「買う」ものではなく「造る」ものであって

それを具体的に言えば「何を使って誰に作ってもらうのか?」が全てであろう。

そこに留意できなければ、「家族の幸せ」の後ろ支えとなる【住】への到達は難しいのではないだろうか。

 

そして杉も誰から「買う」のかが、肝要に思うのである。

私ほど、杉に関する知識ではなく「知恵」を有している人間はいないのでは…と最近自覚し始めており

「杉の恩恵」を頂きたいのであれば

たとえ遠くにお住まいでも、弊社からお買い上げいただく事が良いように思います。

 

杉という素材の品質もそうなのですが

モノだけを欲さずに「どういう考え方の人間から買うのか?」は大きな選択だと思うのであります。

大きな器の中で幸せを感じることのできないような…

「求める」ばかりで「与えない」人から杉を買っては…

風水ではありませんが

どんどんhappyもluckyも吸い取られていきそうです。

たまーに…「あの人元気かなぁ…」と自分の事を思い出してくれて…

そんな際にhappyやluckyもおすそ分けのようにやってくると私は考えています。

 

まぁ私がそういう人間足るかは他者の判断にゆだねるとして

「自分の幸せばっかさん」や不勉強な「自分の事でいっぱいいっぱいさん」とのお付き合いからでは

happyは得られそうもないように思うのです。

 

こうやって書き記していくと
実に私=加藤政実は上から目線で書き綴っておりますが…
私は、たまたま「杉の素晴らしさの探求」という分野においての熱量の持続があったから
様々な分野の達人に出会い…
それらの方々の皆が知らない「杉SUGI」の素晴らしき可能性を語り続け…
それを面白がってくださる…衣、食、医、游…の達人の方々から
かわりに多くの事を教えていただき
まるで【衣食住】の最短距離の10年を突っ走って
現在に至る、極めてラッキーな人間であるだけのことである。

たまたまなのである。

そう…誰でも「一芸!」があるのなら、10年くらいあれば身につくもののはずである。

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