いくら親しくさせていただいていても
その両者の知識や知恵は機械のようにアップデイトしてはいかないものです。
弊社HPでは東京大学付属病院リハビリテーション部物理療法部門で診療にあたられている小倉洋子先生と対談させていただいているのですが
https://woody-katoh.com/conversation-ogura-vol01/
その第1話の後半の「木彫りのタマゴの写真」の前あたりの
「わたしたちの指先は1/1000ミリの木目の凹凸も識別できる能力がある。」
ということを受けての、小倉先生のお言葉…
「そうですね。自覚できているだけで1/1000㎜。自覚できていない、無自覚で働いているセンサーを含めたら物凄い情報量ですよね。」
おぉ、なるほど…わたしたちは自分で何でも察知して判断している
“つもり”になっていますが…。
お腹が痛い。
調子が悪い。
快感である。 それらの自覚できる情報はまさに“かけら”のようなものである。そうか…なるほど。
これは大きな学びではなかろうか。
こういうことをあなたの大切な方々の未来へ生かせないであろうか。
そういえば恒常性維持活動である体温や血圧の維持の為の「脳の指令」さえ
わたしたちはキャッチしていない…そう無自覚である。
食事をとる~血流が増える~「血圧が上がらないように脳が血管に拡張の指示を出す」~「血管がそれをキャッチして拡張」~食事を終えて血流が少なくなる~「脳は血管に収縮の指示を出す」~「血管はそれを…」
わたしたちは脳の視床下部が各所にテキパキと出している指令を感じる事は無いし
血管が「了解!」っと返事するのも
(各所が間違い防止のアンサーをしているのかわからないけど…)
感じたことは無い。
そう言われてみれば、小倉先生がおっしゃる通り
体内を駆け巡る無数の指令や情報量に関してはほぼ無自覚である。
う~ん。なるほど。
そうか「快」、「痛」くらいしか
わたしたちは自覚できていない。
全情報量の0.1%くらい…いやそれにも満たないであろう。
たしかに今の1万倍だか10万倍もの情報量が与えられる人生も
たまったものではないのだが
それにしても「潜水艦vs駆逐艦」のソナーのように…
入ってくる情報量をコントロールできないものであろうか。
「最近、なんかパッとしないから、情報量を10倍にしてみたんだよ。そしたら肝臓がだいぶ疲れてたみたいでさぁ…だからそこから更に10倍(×100倍)にしてみたらさぁ…いやぁ、わかってよかったよ!」
しかしわたしたちの身体はそうはなっていないのである。
不思議な感じがしませんか?
わたしたちはこの身体の主(あるじ)のつもりでいるのに
この身体は脳を司令塔にして
テキパキと「よかれ」と思って
センサー~指令~実行を繰り返して続けているのに
主(あるじ)には「報告・連絡・相談」の「ほうれんそう」は
ほとんど入ってこないのである。
本当にわたしたちは主(あるじ)なの?
これではまるでわたしたちは新米へたくそドライバーで
脳や各所は凄腕の「自動運転」みたいじゃありませんか?
今はこのへんの無自覚である
センサーと体内で飛び交う物凄い情報量と情報網については
ほぼ留意されていない印象を持ちますが
このあたりの圧倒的少量の情報である「自覚」と
圧倒的多数の情報量であろう「無自覚」を考えながら
以降記していきたい。