『百年杉』の専門会社 加藤木材

先週は…
川上の森林・林業を学び、行き着いた所が川下の木材流通の重要性との認識に至り、木材流通業界の重鎮の紹介を経て、わたしにインタビュー依頼がありました。女性の大学生さんです。

「時間をたっぷりとってくること。」
「学問の為の学問にはまったく興味が無いので、“書けない”ことも含めて、事実を話すから、貴方が求めている内容ではないかもしれない。」

の2点を了承ポイントとして、お引き受けいたしました。

これをきっかけに、わたしの周りの人たちにも「整理できる機会」としていただくべく
数人の設計、工務店などお集まりいただきました。
それぞれの、わたしと出会った時期や優先順位ポイントがそれぞれ違うので
わたしも誰が何を知っていて何を知らずか?…」がわからないしね。

(みんな真剣なまなざしですね)

まずは彼女より研究のきっかけとなる思いのプレゼンをしてもらって
そこからはあちこちに話は行きながらも
わたしの、もがいてきた…ここ10年の経験を中心に
各人が感想や気づきを出し合いました。

まずインタビュー希望の彼女は素晴らしいヒトでした。
よく川下のアウトプッターの重要性に気づきましたね。

みんな林業、林業と…リンリンリンリンと鈴虫のように鳴いているばかりなのにね。
林業はたしかにとても重要な産業であるのですが
その林業の大切さや日本の木のありがたさや植物のかけがえの無さを
いったい誰が消費者や施主に伝えるの?となると…

川下の材木屋がそれを怠っているのが
まず1番まずい点である。いくら林業が、がんばってもね…。

ここが勉強不足(インプットを怠って)かつ
木材に精通していないヒト(=消費者)にどうやって、その素晴らしさを知ってもらうのかのチャレンジ(=アウトプットのトレーニング)をまったく履行していない点がやはりお話にならない。

じゃぁ、今現在は誰がそのような役割を担っているのかと言うと
設計・施工=建築の方々である。

しかし「食」に例えるなら
建築のヒトとは料理人であるはずである。
ぼくら木材人は米屋のようなものだ。

「米食わなきゃ、まともな大人になりゃしない!
米食い続けなきゃ、枯れるように天に召されまい!!腐って死んでいきたいのかい?!」

米屋はその経験から自信を持って、大声で死ぬまで発信し続けるのだ。

「米だけじゃない!この持続可能な米の為には、あの山…この川という自然の恵みが必要なのである。まるで工業製品のような、飼いならされたイースト菌によるパンでは気づけない領域があるはずだ。米に感謝の道は自然に感謝の道でもあるのだ!なぜ?あなたたちは食べ物の素材と価格だけしか見ないのだ。この米ができる歴史や風土や文化…大自然。あの山もこの川も不要とでも言うのかい?!」

しかし、料理人は
「客が、安価な…飼いならされたイースト菌のパンでいいと言ってるんだから、しょうがないだろ。」

「客が化学調味料入りの安価なモノでいいと言ってるんだからしょうがないだろ。」

ハウスメーカーと工務店にこのまま任せていたら
この国も森も滅びますよ。

「消費者・依頼人⇔プロフェッショナル」で考えた場合
どんな業界や世界であっても
消費者はプロより知識・経験が著しく少ないはずだ。
ようは、プロは「知って」いて精通していて、消費者はワカランポンチンなのである。
そう…いつでもどこでも、お金を払う方がワカランポンチンで
お金をいただく方が賢いのである。

建築業界がワカランポンチンのお客さんをワカランポンチンのままにしておいて
サクサクと契約してお金もらってはい終了…では
国も森も滅びますよ。

施主は建築を通して
環境問題…先人とわたしたち…、わたしたちと未来のヒト…
実に多くの事を学ぶ機会なのにね。
それらの機会を、多くの建築人は放棄しているように見える。

顧客第一主義では建築は駄目なのである。
顧客がワカランポンチンなのであるから…。
それでは世界中の森はいくらあっても足りないし
日本の「山の畑」の木はさっぱり使われずに荒廃は進む。

やはり哲学を有するプロが
自分の仕事を通して、賢い消費者(市民)を増やしていくこと。

これが唯一の人間社会における
良いスパイラルであるはずだ。

そして「木の素晴らしさ=建築」では無いはずだ。
それなのに、なぜそれを建築の人間にやらせて木材人は黙っているのだろう。
そして更に「売れない」と嘆いていると聞く。
学ばず、話さず、書かずに売れないのは当然のことである。

ある知人が年に1回くらい、あなたには文才があって羨ましい。わたしにはそれが無い。」と言うヒトがいるのだが、気づいて欲しい。

「あなたは書かずとも話さずとも、お仕事が続いてきた、とてもラッキーなヒトです。
書くには学び続けなければならないし、話し方も書き方も“わかりづらい”というご感想をいただき続けて、精進し続けるしか無いのです。千年続いてきた素晴らしい木の文化が評価されなくなっている現状なのに、文才が無いから書かない…とは文才の欠如ではなく、情熱の欠如なのである。情熱だけは教えられないのである。」

1年に1回、木の日イベントで、市民に、まな板配ってはい終了…ではなく
1年中声を枯らして木の素晴らしさを発信し続けることが木材人の仕事のはずである。
まな板を配ることが木の素晴らしさのアウトプットでは無いのである。

彼女は「材木屋さんたちに(面前の得意分野でのフィールドにおいて、お仕事はもちろんのこと、社会性や幸せなヒトを増やしていくことが可能な産業であるということに気づいてもらって)元気づけたいのです!」という心優しい冒頭のプレゼンだったのですが

終了後はいかがな感想をもったのであろうか。

日本の木を売った1万円と、ビニルに木目の印刷物という建築資材を売った1万円の大きな違いに、悩みぬきながら、ビニルを売っている材木屋がこの国には、どれほどいるのであろう。

わたしに会いたいと
多くの方々がお越しになるのですが
唯一来てない業種×2種が材木屋と工務店である。

木の評価の復権ならない現状の主因は
わたしは、建築人にまかせっきりの、木のプロの怠慢であると推察する。
プレイヤーの情熱や資質に問題があるから、よくない現状が続いているのであれば
プレイヤーの交代が当たりまえの手法であるはずだ。

プレイターの育成という手法もあるのだが
読まず、学ばず、話す練習せず、試さず…だからレビュー無しでは≒情熱不在であろうから
情熱ばかりは育成不可能だと考えるのだがいかがであろう。

しかし、もし?彼女が「材木屋」になるのであれば
わたしはあらゆる支援を惜しまないであろう。

未来像の「材木屋」は今と相当形は違うでしょうね。
あえて言えばモノ=木材が置いてあるから材木屋ではなく
そこに行けば「木のこころ」があることに気づいて…
こころがそこに戻れるからみんな行くよねって感じかな。

がんばれサトミさん!

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