晩秋のイベントにて
地元産材活用の住まいづくり提案のグループの中核の方々とご一緒しました。
「地元の木を使って家を建てませんか?」を発信し続けているグループ。
しかしわたしはその手の話には距離を置きます。
まず、木の地域材は産地詐称が多過ぎではないだろうか。
ちょっとやり過ぎ…。目に余る。
紙の企業は、全部が一部上場企業だから、ちゃんとやっている印象がありますが
木は全部、零細企業だから(中小企業の規模定義は従業員100人程度です)
群れて“嘘をつく”。
だいたいこんな小さな森の島で、そこからさらに50弱の都道府県に分けて
その小さなエリアのみで建築に必要な、多種多様な樹齢30年~150年の木材を
常に用立てられる都道府県なんて
10地域あるかないかであろう。
もちろん埼玉も東京も不可能に近い地域だ。
30分間くらいわたしが探求してきた“杉の素晴らしさ”に関することを
お話したであろうか…
その方が
「噂には聞いていましたが、加藤さんの知識は凄いです。はじめて聞く話ばかりでビックリです。」(外交辞令かもしれませんが…)
「いえいえ、そんなことありませんよ~。」
…で、その場の話は終わったのですが…
以降は、語らなかった、ぼくの本心。
あなたたちの地域材ストーリーには“木はどこの木でも同じようなモン”という考えが
根底にあるはずだ。同じようなモンなら地元で買おう!という考えである。
しかし植物の選択の中で、重要なのは、“質”であるはずである。
お野菜であれば、農薬の使用は?…肥料は?…ということである。
地元産の農薬たっぷり使用のお野菜と隣県の無農薬のお野菜…。
あなたたちの“地産地消の地域材”という考え方が
日本の木や杉の素晴らしさの探求もせずに
ただただ、木をお金に変えることにしか興味のない木材業界人の
鼻息を荒くさせているのがわからないのだろうか。
“はじめて聞く杉の素晴らしさ”だって?
“木(杉)の素晴らしさの探求”にまったく関心のない材木屋さんから
買い続けていれば、そうなるのは必然のはずです。
木は誰から買うか?で決まるのだ。
山がひとつあったとします。
その山から手前側に降りれば、地元の地域材となって
向こう側に降りれば隣の県産材になるとします。
手前の地域材の材木屋さんは
700万人の県民がいて、「地域材」指定によってお仕事は結構あります。
それどころか足りないから、他の県産材の木材を安く買ってきて
「地域材」として売ったりしています。嘘つきですよね。
向こう側の隣県産材を扱う材木屋さんは
人口が200万人を切っていて、お仕事もあまりありません。
ほんのちょっとの距離なのに人口の多い地域の地域材に入れてもらえない。
でも、とても勉強熱心で、木の素晴らしさや、その恩恵についての探求を欠かしませんし
たくさんの本を読んで、いろんな勉強会や学習会にも頻繁に足を運ぶ、熱心な材木屋さんです。
地元の材木屋さんの方は
何もしなくても注文が入りますから、あまり勉強をしている様子はありません。
隣県の材木屋さんは「もっと木の素晴らしさ」を知ってもらって
もっと木を使ってほしいから、勉強を続けています。
やはり、人間社会において、サポートという概念は必要なのですが
補助や“ひいき”が日常化して、「甘やかし」につながれば
ヒトは努力や精進を怠って堕落してしまう。
地元産の地域材をキャッチーなストーリーの為に利用し続けるその考えが
木のプロの哲学を消し去っていく。
お金は極めて大切なモノなのだが
それのみしか求めない木の人間から木を買い続けていれば
前述のとおり“木の素晴らしさ”の知識など得られるはずも無かろう。
ホームセンターのバイトのスタッフさんに木の知識は無いのと同じである。
つくづく、木はどこの?ではなく、誰から?買うかが重要なのである。
木の人間…植物の人間が目指すことは
最初の目標は“今日の売り上げ”であっても…その先…もっと先を…と広げていけば
「世界平和」のようなモノにつながることが必然のはず。
植物に関わる人間がお金のみにとらわれた瞬間に何かが終わってしまう。
木材というモノだけを求めていては
見えない世界はあるように思うのだ。