Numberの1000号が発売された。
ぼくは400号あたりから毎号買っています。
スポーツじたいはお金にまみれているのですが
アスリートにはピュアな真実があるから読みます。
ちなみにぼくは小説やドラマなどのフィクションにはほぼ興味がありません。
ノンフィクションのみかな。今は映画もあんまり…。
試合も観たいからTVでスポーツを観ますし
スポーツ新聞も読みますが
はっきり言ってまるで違う世界。
特にTVはアスリートの素晴らしさや
競技の奥深さを知る発信とは真逆にいるように思う。
大坂なおみ=なおみ節…渋野日名子=しぶこ節…カーリング女子=もぐもぐタイム…
TVって自分たちが固めたいフォーマットにして発信するだけだからね。
まったく、あきれちゃうよね。
でもあれって要領のイイ(と本人は思っている)男性が
「こういう風にやっとけば、視聴者なんてちょろいもんさ」的な
古風な70歳代の何もかも供給が追いついていなかった男社会の頃の考えを
いまだに「引き継いでいる」からのような気がします。
TVを観るな…ではなく
アスリートに興味があるならTVだけで判断するな…が正解なのかもね。
アスリートの試合後のインタビューなんかも
この国のTVのインタビューアーは、もうほとんど聞くにたえない感じ。
「アスリートから心の内を引き出す」なんて気持ちはまったく無くて
「アスリートにインタビューアーが言わせたい言葉を言わせるためのインタビュー」だからね。まったく似て非なる話。
その昔、オスカー・デラホーヤというボクシングのスーパースターのファンで
試合はTVで全部観たけど…
試合終了直後にリング上で白髪の白人老人インタビューアーがデラホーヤに…
「今日はなぜ8Rでいかなかったんだ。判定で勝つ安定策かい?ずいぶんと勇気のないボクサーに見えたんだが、どうなんだい?」
なんて聞いてたもんです。
どつきあい終了直後のボクサーにね…。
デラホーヤもそれに真摯に答えていて
すごく心を揺さぶられました。
この国のTVレポーターでは、千年経っても無理かもね。
ただ、最近、「?」って思ったTVのインタビューアーがいて
なかなかイイ感じだったんですが、やっぱ女子でしたね。
女子アナなんて区別というより差別的に聞こえる言葉もそうだけど
男性好みの容姿と言動を超えた才能を女性には期待したいですね。
「女性目線では?」とか聞かれても
「人間目線の答えでもいいですか?」なんて返すくらいの切れ味でね。
Numberには情熱を持った愛にあふれたレポートがたくさん露出されています。
最近だと、渋野日名子さんは小さいころから
岡山県では有名な剛球ソフトボール投手だったのですが
最近じゃ投手は責任が重いので皆やりたがらないポジションであること。
でも渋野さんは投手をやりたがって…
剛球なんですが
コースも狙わず、チェンジャップも絶対投げない(打者を騙すようで嫌だ)
ど真ん中剛球一直線だったこと。なんてカッコイイ女っぷりでしょう!
それでエラーとか、結果負けてはいつも泣いていたこと。
全英オープンの最終18番のパットのシーンを見直してほしいのですが
優勝パットが決まった瞬間、さっきまで優勝争いをしていた同組の選手の方が
先に両手を挙げて万歳してるんですよね。
渋野選手の決してショートしないパッティングとか…
その「真っすぐ」なトライを続ける気持ちがライバルの心にまで伝播しているから
こういうことが起きたのかもね。
観客も選手もその渋野さんの「まっすぐ」な世界に引き込まれた結果が優勝。
そう考えると渋野選手の旬はひょっとしたら短いのかもしれない。
もはやビッグネームになってしまったのですから
多くの「大人の事情」を受け入れながらも
彼女がアスリートとして、より高みを目指せるのか?
それとも「大人の事情」を拒否して
彼女らしさを維持したままスポーツが続けられるのか…
その場合の結果は?
ぼくにとってはそのあたりに興味があるのである。