『百年杉』の専門会社 加藤木材

尊敬している友人から「専門性」について問いかけられて
「専門性」とは何だろうかと考えてみました。

わたしは「杉」という専門性を有していますが
そんな人間はあまりいないようだ。
多くは家具職人としての専門性や…大工さんだったり…
設計や木材販売会社営業などの専門職の方である。

わたしは2~3流を結構複数有していて
それがぜんぶ「杉」につながっている感じ。
考えてみれば珍しいタイプなのかもしれない。
おかげで、自分には何も1流が無いことに気がついてしまった。

1流とは脇目もふらずに
1芸を極めるということであろう。

「匠の技」なんかもそうですね。
みなに称賛される。素晴らしい。

そして人間の考える効率化は
細分化して「専門化」し続ける。

医療に例えれば…
内科・外科・循環器科・小児科・精神科・神経科・神経内科・消化器科・整形外科・脳外科・産婦人科・眼科・耳鼻咽喉科・気管食道科・泌尿器科・肛門科・性病科・リハビリテーション科・放射線科・麻酔科・リウマチ科・形成外科・心療内科 ・呼吸器内科・血液内科・呼吸器外科…

数えきれない。

それらの専門性において
「どうやって病気になるのか?」の解明と治療法の確立が為されていて
心強いのである。それぞれの1流の方々さえいればわたしたちは安心である。
しかし待てよ。それでもなぜ生活習慣病の方々は増えていくのであろう。

6人に1人が糖尿病で…
5人に1人が睡眠障害で…
呼吸器性疾患の医療費だけで年間2兆円を超えているし
脳梗塞の死者は7万人近いし、脳血管疾患の死者になると11万人を超えている。

あれれ・・
「病気になりづらい幸せな生活のために心がけること」

は、いったいどこに行けば学べるのであろう。
身につくのであろう。

昨今話題はそれに尽きる感のある…
新型コロナウイルスに対するワクチンという話もよく耳にするのですが…
旧型コロナウイルス感染とは一般的な風邪であり(そのすべてでは無いが半分くらいはそうだったかな…)
それに対するワクチンはいまだ発明されていないし
できる予定も無いし、おそらくできない。

また同じく新型が続々登場し続けるインフルエンザに対しても
ワクチンは存在するけど、すべてのタイプのインフルエンザに効くわけでもないし
また効くワクチンもウイルスの増殖を抑える効果はあっても
死滅まではさせないはずである。死滅させるのはやはり自己免疫力であるはずだ。

やはり磨くべきはそこに落ち着くのである。
それでは自己免疫力の向上と維持の方法とはなんであろうか?

つまるところ
「衣食住の質+誇れるやりがいのあるお仕事+友人・パートナーとの相性や質」であろう。

やはり人間の行動が専門性にいたってしまうのは
ある意味必然なのであろうが

それら専門性に任せっきりでは思考が止まってしまって
どうやら、わたしたちは幸せにはなれそうもない。

1流の専門性の考えを多数、複数、体内に継続的に取り入れることは重要である。
しかしそこから、それらの情報の分析・解析をすること。
当然そこには優先順位やコストを含めての取捨も含まれる。
そして行動。そして「振り返り」を足してからの
再び専門性情報の多数、複数の取り入れ~とエンドレスに続いていく。

ようは「専門性」の情報の解析力の発揮こそが
「個」のスキルの発達であり、開放であり、まさに「人生」ではないだろうか。

しかし、それらの自己の情報解析能力の向上と維持を放棄してしまうと…

「それで結局、何をすればいいの?何をすれば幸せになれるの?」

という、愚者の問いかけと思考になってしまい…
選択の失敗さえも糧とできないことになってしまう。
愚かなり。

今はたとえ話は新型コロナウイルスがわかりやすいから
再び引用するが、「お湯を飲めば大丈夫」というデマが流布されたという記事を読んだのですが、胃の内部の胃酸は抗ウイルスの免疫力としての存在でもあることは確かであり
胃の中に入ったウイルスが胃酸によって死滅されていることはあるのでしょうから
まったくウソとは言えないように思うのだが、「お湯さえ飲んでいれば安心」のような流布につながりかねない点も考えると、やはり感染症の学者さんが否定することはまったく正しいあるべきプロの姿なのである。

「お湯を飲めば大丈夫はデマ。」

たった1行のこの記事も、単なる正誤ではなく
上記のようにとらえられる思考を持ち続けることが重要ではないだろうか。

「もの知り」になろう…ではない。
たくさんの「モノ」をとりいれて、それを自分のものとする力を磨き続けよう…
ということである。まぁ結果として「もの知り」になってるかもしれないけど…。

無知は恐怖を生み、恐怖は必ず怒りにつながり
自己のみならず他者さえも不幸にしていく。
頼るべきは「専門」ではなく、それらを聞いて、賢くあろうとする自己のはずである。

また、無知は悪とさえ言ってもいいのかもしれない。

わたしもその専門性において
「無知」の分野が無数に数限りなくあるし、失敗の選択もこれまた無数にあるのですが
それが恐怖や怒りに変換されないように、やはりあきらめずに
「専門性」の情報を多数複数収集し続けて解析を続けていくこととする。

「専門」とはあくまでも「専門」だから「専門」なのであり
「専門」のままでは、わたしたちの人生の道程の質の向上につながらない場合が多い。
専門性の情報ばかりが、わんさか…大量にあっても
何の役にも立ちはしない。邪魔くさいことのほうが多いくらいではないか。

有限会社 加藤木材
〒350-1312 埼玉県狭山市堀兼2348-1
TEL 04-2957-9444(月~土 9:00~17:00)