いきなりなのですが、ぼくはもう…20年以上風邪をひいていない。
25年くらいかな。
最後に病気になったのはインフルエンザで…薬を体内に投与されたのですが
以降、抗生物質によって体内の菌類が殺されたからか(事実は不明も…)
半年くらいは体調が良くなかった記憶があります。
その時にはなんとなくそんなもんかと思ったのですが
以降、多くの方々のおかげで
勉強させていただいて今に至ります。
車の保険も無事故が続くと安くなるし
違反も無ければ、免許も長くなります。
しかし、健康保険料はまったく安くならない。
●健康でいるために「食の質」に留意して
価格は高くなるが、ちゃんとした「食」をいただくことにする。
●健康には睡眠が最重要なので【百年杉】のベッドを買う。
●「住まい」における床は常に触れ続けている素材ですので
床材だけでも最も心地よい素材である【百年杉】にする。
●直接触れる下着や生理用品はオーガニックな素材にする。ボディソープやシャンプーも同様に極力化学物質配合のものは使用しない。
まぁ上記のようなことをすれば健康が保証されるわけでは無いのだが
限りある自己資金の中で
一所懸命に自分たちの家族の未来の幸せのために“調べて”
健康に不向きと思える「安い食」や「安い住」ではなく
「ちゃんとした食や住」の生活をしているのである。
そういう行動が正しいのか?
そういう行動が実際に健康につながるのか?…はともかく…
実際に病院にいかないような「健康」な状態が「結果」として続いているのであれば
その結果として、その分の健康保険料金を下げるべきではないだろうか。
車の保険のようにね…。
「病気になっても医者に行けば治るんだろ。薬飲めば治るんでしょ。」という考え方は
違反をした際に「罰金を払えばいいんだろ。」的な考え方であって
あまり感心しない考え方ではないだろうか。
やはり病気にならないライフスタイルを目指すことが本筋のはずである。
「質の高い衣食住」と健康との関連性の証明は必要無いはずである。
「結果」として、病院に行かなかったヒトが安くなっていくだけでいいのである。
「衣食住の質」にコミットしていても
「結果」が出なかったヒトにはちゃんとした正規の負担をしてもらえばいい。
病院に行かなければ、その分健康保険料金が安くなるのであれば
「ちょっと高い衣食住」と「安いけれども不安な衣食住」との
コストとしてのギャップは埋まっていくはずである。
その結果、国民みんなが「健康」に留意したライフスタイルになっていって
多くの国民が一切病気にならずに
最後に病気になって天寿を全うするようになれば…
それは目指すべき社会のひとつであるはずだ。
そうなれば、さすがに年間45兆円という医療費にはなるまい。
この金額を見ても、もう対処療法は破綻しているのは明らかである。
ビジネスとして売り上げが増えていくことは良いことなのだが
増えすぎて払えなくなってしまっては「儲け」も消滅である。
そして、もはや医療費は「払えない」というところまできている金額のはずである。
また産業構成としても
病人のケアという業種のみが繁盛している状態では
病人多数の世の中ですが
「安全な衣食住」という産業が元気な状況は
たくさんのお年を召した元気な労働人口があって…
かつ、多様で分厚い「持続可能な衣食住」たる業種に
持続的な収益が得られるということなので
国家としても産業構成は多様かつ分厚くなるはずである。
「病気になったら医者の言うことを聞く。」よりも
「病気にならないために衣食住の達人に教えを乞う。」ほうが
人生じたいも楽しいと思うのだがいかがだろう。
もちろん、弊社のお客様には医療従事者の方々は極めて多数いらっしゃいますし
コロナ禍による医療従事者の方々の
毎日のお仕事の奮闘ぶりには感謝の念が堪えません。
ですから医療従事者の方々が収益だけをむさぼっているとは
まったく考えていません。
がしかし、社会という大きな枠で考えてみると
good ideaだと思い、こういう試案をご披露させていただいています。
病気になってしまったヒトのために
たくさんのお金と技術をかける社会が無駄というのではなく
先んじて病気にならないヒトのために
たくさんのお金や情熱をかける社会の方が、成熟した社会だと思うのである。
わたしは「理想の社会は?」との問いに対しては
毎回、「警察も弁護士もいない世の中。」と答えています。
これも、そういう方向性でしょ。