『百年杉』の専門会社 加藤木材

自分で【百年杉】をweb shopで販売しておきながら…

「よくネットで木なんか買えるなぁ。」と思うことがあります。

うちは大丈夫だけど…他は確かめようが無いからなぁ。

また同じような話で

「よくホームセンターで木なんか買えるなぁ。」と思うこともあります。

おそらくわたしの年齢は古くから「木を扱う者忘るべからず」の口伝を継承してきた
最後の世代でしょうから、ここらで一度記しておきます。
確実に絶えますからね。いったん文字化しておきます。
口伝とその内容がなぜ?なのかという考察です。

以降記述していく話は
設計や工務店といった建築業界には伝わっていない口伝であり
また、建具屋・家具屋などの木を使った製造者にも
伝わっていない話であり考え方のはずです。
江戸時代…それ以前からか…長きにわたり、木材供給者のみが継承してきた口伝だと思われます。

わたしは、まだ10代の修業時代から
「神社の木は使ってはならない。」と先輩方から聞かされました。

なぜですか?と聞いても、ちゃんとした答えが返ってくることは、ほぼなかったのですし
「なぜ?」をいつも問うわたしは、先輩方にはとても疎んじられた記憶さえあります。
それでも…

「火事になる。」と聞いたことは多数あります。

実際に40歳代になって、ある都市部の材木屋さんから
「実は以前、うちが火事になったのは、神社の木を仕入れたからなんだ。
わかってたんだけど…素晴らしい杉でさぁ…わかっていても“買っちゃった”んだよね。」

と驚くべきカミングアウトを聞かされたことがありました。もうビックリでした。

「扱っちゃならない神社(の杉)の木」は、実は容易に見分けられるですが
それがなぜか?はどこかで後述いたします。

話は戻って…なぜ?神社の木を使っちゃならないのかというと

「神社の木は自分は神社で使われると思っているのに
そうじゃないとへそを曲げて災いをもたらす。」

「神社の木も神社側でちゃんと木にお願いしてもらえれば大丈夫。」

このあたりが先輩から聞いた口伝ですかね。

そして今から10年以上前に
東京のあるお寺のお引越し~仮住まいに関与させていただく機会がありました。
ご住職のパートナーさまが化学物質過敏症で
マチの再開発事業の一環でマチが無くなって…お寺が高層ビルの中に入るのですが
完成入居までの3年間程度の仮住まいのリフォーム工事に関与させていただきました。

最後の打ち合わせが6月だったのですが
初秋に咲くはずのキンモクセイが匂いたつような…まさに「狂い咲き」でした。
奥様はお寺の門までお見送りに来られて…

「わたしが嫁いできて数十年。こんなことはありませんでした。
(キンモクセイは)わかっているのですね。」

とお話しされたことをはっきりと覚えています。

お寺の取り壊しは町内の最後の1軒でして、そこらじゅうにあったお家も庭木もすべてなくなっていて、お寺以外はガレキだらけのダンプと重機しかない「かつてマチだった場所」で、ぼくは奥様の言葉を聞いていました。

「あぁ、植物はわかっているんだな。」と

ぼくは小僧時代から聞いてきた
神社の木の話を想い出しながら…強く認識しました。
その後に「植物は気づいている」という
米国のウソ発見器の使い手の先生の書いた本を買って読んで
「あぁやっぱり、そうなんだ。」ということをより深く体内に刻み込んだのでした。

50年以上生きていて、木に40年近く触れていると
様々な経験と思考が身体を巡ってきたのですが、

わたしが考える「木を扱う者忘るべからず」は大きく分けて3つあります。

●その木のもっている「気持ち」に留意すること。
●人間の気持ちが入っている木に留意すること。
●他の生き物の気持ちが入っている木に留意すること。

コラムの内容としては実にスピリチュアルな話なのですが
実はWHOの健康の定義って「身体と心」だけでなく
「霊的にも…」という1文が添えられています。
ぼくもはじめて知ったときは驚きました。

実は心と身体だけではなく…
スピリチュアルな世界においても
霊的にも健やかなコミュニケーションをとれなければ
「健康」にはなれないことは

「お墓参り」や「お参り」をする、わが国だけでなく
世界中で共有されていることなのです。
(つづく)

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