前回記した3つの「木の気持ち」の最初の気持ち。
●その木のもっている「気持ち」に留意すること。
をまずは記していきたい。
前回記したキンモクセイは
「マチが無くなる」という周辺の状況の大きな変化に気づいて
自分が伐られることを察知して
子孫をつなげるべく3か月も早く花を咲かせたのでしょう。
ここにはキンモクセイという彼女の気持ちと行動があります。
おそらく神社の木も
神社でお役に立つ気マンマンで育っているのでしょうね。
なんでそういう気持ちになったのかというと…
神社のヒトや植えた人からのそういう気持ちの念…
「大きく育ったら神社の材料として力強く活躍してくださいね。」
というヒトの気持ちが伝わっているのかもしれません。
例えば弊社の【百年杉】は、まるで畑のような計画植林にて
「百年後に大きく育ってかわいがってもらいなさいね。」
というヒトの気持ちが入っているかもしれませんが
実際にその通りになっていますから
穏やかにやる気満々でしょうから、まったく問題ないどころか
ヒトを幸せにすることの使命に情熱を見燃やしているくらいかもしれません。
ここには前回記した第2の気持ちである
●人間の気持ちが入っている木に留意すること。
という部分も登場するのですが
ここはまた改めて記しますね。
「神社の木は使っちゃならない。」
という口伝の真意は、盗伐された神社所有の超高樹齢杉材のことではないだろうか。
ぼくらがなかなか足を踏みいれられないくらい山中深くにある
お寺や神社が所有する山林には樹齢150年~200年以上の杉がたくさんあるらしい。
いつの時代にも悪い奴はいるもので
盗伐は現代日本でもおこなわれている。
そこに100万円の指輪と1万円の指輪があれば
盗人は100万円の指輪を持っていく。
木も同じである。高価な高樹齢材を盗んで金にする。
なぜなら盗人が欲しいのは指輪や杉ではなく、お金なのだからね。
実際にとある場所で
どんな組合にも属さないという…200年以上の超高樹齢の杉丸太がゴロゴロと置いてある
材木屋?を見たことがあります。非合法感満点の得も言われぬ怖いオーラでした。
なんか「惨たらしい」感じがビンビンにきましたね。あぁ恐ろしい。
もちろん盗人はこういう超高樹齢杉材を伐るにあたり
「伐らせていただきますよ。」というお願いやアナウンスのために
日本酒と塩をそえて“お願い”をするわけもなく…
いきなりジェイソンのごとくチェーンソーで伐るのでしょうから
200年間生きてきた神社所有の杉さんは「殺された」と思いますよね。きっと。
だから盗人と同じ人間という生き物に
行く先々で災いをもたらすのでしょうね。
火事とか病気とか不運とかね…。
伊勢神宮は遷宮のための伐採時の
この「伐らせていただきますよ。」という桧さんへのアナウンスを
1週間かけてイベント化していますよね。
これはひょっとしたら
20年に1度という人間の匠の伝承のためのタイトなサイクルが
森林や自然界に負荷をかけているのだが…そこのご理解のために…
桧さんに理解してもらうために
時間をかけて念入りにお願いしているのではないでしょうか。
まぁ設計士さんや建築人の考えでは
「人間の匠の技術の維持のためにはしょうがない。」で終わりだろうけどね。
ぼくは植物人だから、その先まで思考します。
話を戻します。
これらの盗伐された超高樹齢杉という
怒っている…実にヤバイ杉は実は簡単に見分けがつきます。
不当に安い。
「加藤君、ああいう杉は怖いんだよ。」
心ある材木屋の親父が、まだ修業時代のぼくに教えてくれたものである。
しかし、そういう「掘り出し物」を買っていく材木屋が昔からいたのも事実です。
やはり、いつの世でも「安く早く」のプレッシャーは
「消費者→工務店→木材供給者」とつながっていたのでしょうから
哲学を有さない、「早く安く」のプレッシャーに負けてしまった木材供給者は
盗伐材を「買って~仕入れて~売って」不幸をまき散らしてきたのでしょう。
まぁ、だからこその口伝の継承が必要だったのでしょう。
いつの世でも愚者が不幸を増殖させる。
あと、ここはとても重要な話なのですが
おそらくこの「神社の木は使ってはならない。」という口伝は
林材業界までですからね。工務店や建具屋には伝わっていない。
技巧がほぼすべての本質である…匠っぽい業界における
木に関する口伝は「性根(しょうね)とか多様性に対応する口伝」という感じで
“木の気持ち“たる、スピリチュアルなものは無い印象です。
「木組みはヒトの癖組み」とかね。
これなんかいかにも心ある大工さんっぽい口伝でしょ。
ですから
設計・施工・プロダクト製造のヒトたち頼みでは
施主や消費者は「怒っている木」からの回避は難しい。
いわゆる「材木屋」が
「木の気持ち」を理解しながら、モラルのようなことを…
木材売買以外で「嫌われ役」になろうとも、伝え続けてきたのですが
今やそんな材木屋もいないので、とても危険だとぼくは思っています。
若い材木屋さんは、口伝を継承できるようなところに修業に行っていない。
上場企業のカタログ商売の建築資材流通問屋の修業がほとんどでしょ。
先代が事業継承者をそういうところに修業に行かせちゃった時点で
もはや木の気持ちを知りし材木屋になんてなれっこないのである。
イメージとしては…
「おれは多少高いけど、加藤木材からしか買わない。
なぜならほかの材木屋は危なっかしいからな。多少安くたって
“いのち”の方が大事だからな。」
くらいの工務店側の感覚は、以前はあったのではないでしょうか。以前はね…。
今はもう、それさえも無い。
木を“いのち”として見ている工務店も設計士さんもいないね。
木は素材のひとつという考え方ですね。
昔は材木屋のみが市場で木材が購入可能であったし
市場に出入りする権利も
同業の複数の材木屋の推薦と保証がなければなりませんでしたから
こういう口伝による抑止効果はあったのでしょうが
今の後発の木材製品市場は工務店や建具屋さんなどの口伝継承していない企業が
木材を直接買い付けていますからね。皮肉にも材木屋の利権が消滅することによって
盗人は「怒っている木」を売りさばきやすくなっているのかもしれません。
現在の設計・施工業界=建築業界は木を単なる素材のひとつとしてしか見ていません。
木を“いのち“としてみている建築人はゼロと言ってもいいでしょうね。
そうゼロですね。だって会ったことが無いもん。
具体的には樹種は杉で…樹齢で言えば200年とかの杉ですね。怖いのは。
一枚板の杉とか…かな。
ぼくはこういう超高樹齢杉材を掘り出し物として買ってくるような行為は
とてもじゃないけど、恐ろしくてできません。
弊社の【200年杉】は同じ製造者の畦地製材所さんからのみ買い続けていて
畦地さんとは、そういう怖い木は安くても絶対に手を出さないという約束ができています。
しかも畦地製材所さんは、そういった超高樹齢杉材の際には
神社に事情をお話して
お札を書いていただいて、それを丸太に貼って手を合わせています。
もしも?履歴が違った場合にも備えた
“木のいのち”へのリスペクトが、わたしたちにはあります。
設計や施工が誰か?は…確かに最重要な選択なのですが
ぼくは木の恩恵は「木は誰から買ったの?」ですべてが決まると考えていて
ぼくだったら設計士さんや工務店さん相手に契約する前に
木材供給者に会わせてもらって
「環境問題、農薬、添加物、医療、女性差別、LGBT差別、貧困、原発…」
ありとあらゆる社会の問題について質問をぶつけて
その木材供給者の人間力を探るけどね。
自分の幸せしか考えていない木材供給者は論外だけど
無知で従順な「お客様本位」の木材供給者もまっぴらごめん。
お客様からの要望であっても
無茶な要望に対しては、ピシャ!っと哲学をもって断るくらいの人間でないと
とてもじゃないけど、ぼくは木を買うことはできません。
哲学を有さない木材供給者は危険です。
早く安く…の無茶苦茶な施主~工務店の要望に応えてしまって
「怒っている木」を納材してしまう。
いつの世だって、勤勉かつスキルレスな人間は最も危険なのである。
木を“いのち”として見ずに
素材のひとつとしてしか見ない現代建築業界に
「住まい」を任せていては、この国も森も滅びますよ。
木はちょっと気難しいくらいの
「哲学を有するプロ」から買うしかないはずである。
わたしはそういう人間になりたいと思っていますし
それが生きていく道義付けになっています。
(つづく)