『百年杉』の専門会社 加藤木材

わたしたちは、わたしたちが、自分らしくあり続けるためにも
杉とお友達になること。杉が身近にあることが、どうしても必要であると考えています。
そしてその「杉と身近になる方法論」として
「建築」や「家具」という手法・手段をとっています。
「建築」や「家具」は目的ではなく手段です。

一見似たように見えるお仕事に建築業界や家具業界がありますが
実はその哲学や基軸は大きく違います。

その方たちのお仕事は
「杉の使用をお薦めする建築」と「杉の使用をお勧めする家具」であります。

そう…最終的に達成したい目的は「建築」の達成であり
「家具製造及び販売」の達成なのです。

「杉」は言わば「あればいいよねぇ…。」
というメインのトンカツの添え物のキャベツのような存在であって
達成を目指す本分であるトンカツは「建築や家具製造・販売」の達成ということです。

設計・施工という建築や家具製造という領域は
「ヒトが持つ情熱と知性を有する叡智」でもあります。まったく素晴らしい領域です。

デザイン・工法・技法・匠の技…

こういった人間の尊い叡智の素晴らしさによって
ヒトを幸せにしたいという同義付けが
建築・家具業界の方々の基軸であり信条とも言えるのではないでしょうか。
実にカッコイイ。

より具体的に話せば
わたしたちの目的は「杉とのお友達関係のお届けによるお客様を幸せにすること」ですから、杉じゃない建築や家具のお仕事は原則的にはお断りいたします。

けれども「日本の木をお薦めする建築」をしたい方々は…
予算が足りないなどの要因によって「日本の木→外国の木」になったり
場合によっては「木に似せられたモノ=ニセモノ」になってしまうケースが散見されます。
でもこれはある意味しょうがないことです。

なにしろ目的は「建築」なのです。「木」では無い。

その目的の達成とは、より具体的に言えば建築契約書の締結が必須であり
その達成のためには、いくら「日本の木を使った建築」をお勧めしていても
その旗を降ろして、コストダウン案を製作せざるを得ない場合もあります。
「日本の木」の旗を降ろすことによって
望むべき「建築」の契約を得られるのですからね。

優先順位の2位以下を取り下げて1位を得るということは
いわゆるBプランであり、スポーツを含めて誰もが念頭に置いている行為であるはずだ。
まったく常識的な行動である。

一方、わたしたちは【百年杉】という旗じたいが唯一の第1位の目的ですから
絶対にこの旗は降ろさない…というか下ろした瞬間誰も話を聞いてくれなくなるでしょうしね。そう…錦の御旗が「杉」なのか「建築」なのか?は実はもの凄く大きく違うのです。

杉を「住まい」に使うことは、必ずお客さんを幸せにすると仮定します。
ですから、わたしたちは杉を使わない選択肢は
お客さんが幸せになる機会を逸することになるから【百年杉】の旗は降ろさない。
おろせない。降ろしたら、わたしたちの存在理由が消失します。
仮定の話なんですが、わたしたちにとっては、これが全てであって全域です。

建築のヒトたちは、杉の存在よりも、自分たちの情熱を有する叡智がヒトを幸せにすると考えている方々だから、その達成のためには「杉の旗」を降ろすこともある。

これはどっちが正しいとか、優れているのかという話ではないと思います。

わたしたちは、決して人間否定ではないのですが…
「人類よ、おごるなかれ。“自給自足”の“給”ばかりでなく、“足”るを知ろうよ。」
という考え方です。

人類があと千年続こうが【百年杉】のような人造物は作れまい。
この地球の持ち主は植物なのではないか。
だとすれば、借りた場所を汚さずにきちんとお返ししてから、天に召されていく人生をするべきではないだろうか…。【百年杉】が身近にあることによって、「足るを知る」気持ちを持ち続けられますよ。…という考え方なのです。

でもね。情熱を有する人間の叡智こそがヒトを幸せにするという考え方の
建築の方々もカッコイイし素敵でしょ。

これはもう…
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという類のものではないのである。
まるで一神教と多神教のような関係性ではないだろうか。

ただね。ただただ…両者を“いっしょくた”にして欲しくないのです。
大きな哲学の「違い」を認識→「共有」につなげていきたく、ここに記しているのです。

わたしたちはルパン三世とその仲間たちで
建築業界の方はまるで、峰不二子のように思っています。

林産地のパートナーとも「建築業界の方々って敵なのか?味方なのか?」と
ここ4~5年、議論してきたのですが
今現在の結論としては
敵でもなく味方でもなく建築業界は峰不二子さんという位置付けがピッタリときています。

わたしたちは、盗みはするけど、悪い奴からしか盗まないとか…
次元と五右衛門との相棒~友情関係は不変であるとか…
盗みをするにも、いろいろとめんどくさい「縛り」があるのです。
【百年杉】を使わないお仕事しかしないとかね…。

でも峰不二子さんは、金品の独占が目的であって
いつもわたしたちの近くにいるのだけど…
やはり「縛り」無く、金品の奪取の達成が目的なのですね。手段は選ばない。

だからわたしたちは、時には彼女の裏切りにも会うのですが
彼女はおそらくぜんぜん裏切りとは思っていなくて
それは目的達成のための必要な行為であり過程なのです。
杉を外すことは不二子ちゃんにとっては、しょうがないことなのです。
でもルパンたちには外せないのですよ。ぜったいにね。

建築業界の方々も時々、【百年杉】を買ってくれたりするけど
それはほんと時々…というか、たま~に年に数回であって
逆にお客さんが望んでいる【百年杉】を外すケースの場合の方がほとんどで…
植物の質に関する哲学も乏しい。人間の考え出した手法論は言うけどね…。

人間が考え出した手法論が全てであれば
「公文式の勉強をすれば東大合格確定!」ということになっちゃうけど
いかに公文式が優れた手法論であっても、それはないでしょ。
それこそ、個の情熱と努力と叡智じゃないの。決め手でありその全ては…。

建築業界の方々の言う…
葉枯らし、低温乾燥、月齢伐採、自然乾燥、地産地消…これらに共通するのは
人間の叡智が生み出した手法論であって
その優位性の発信のみということは、やはり手柄はすべて、ヒトへ!なんですよね。
不二子ちゃんたちって…。

わたしたちみたいに…「植物に全部手柄を!」とまでは言わないけれど
なんで?半分でいいから「ヒト→植物」にお手柄を分けてもらえないのだろうか。

わたしたちはやはり
「木=植物リスペクト業界」と「建築=ヒト素晴らしい業界」との関係性は
どちらが正しいではなく
ルパン3世とその仲間たちと峰不二子との関係性で考えることがもっとも
理解しやすいように思うのです。

不二子は不二子で憎めないヒトでしょ。
好きですよ。不二子も建築人も(笑顔)。

わたしたちはもちろん、建築という人間の叡智の発揮という素晴らしさを
冒とくなどしていません。

ただ、こんな世の中だからこそ、必要なのは人間より「杉」という植物であって、
つくづく、人生において重要なのは、杉だけじゃ全然足らなくて…

●いっしょに住む植物(=杉の質)。
●“いのち”をいただいて食べる植物(の質)。
●着る植物(の質)。
●育てることによって、人間性の発露と維持をいただく、育てる植物(の質)。」

という、生涯を通した植物との素敵な関係性の継続に尽きるんじゃないのかなぁ…という
言わば、「植物業界の発足と発信」が必要であり重要なのではないだろうか…。って
次元や五右衛門と、いつもうなずきあっているのです。

最後になりますが、
わたしが見てきた範囲のみの印象ごとで恐縮ですが…
建築業界内の方なのに、杉だからこそ可能な領域があると信じて行動され続けた方は
藤田小枝子さんと芝静代さんという
東西のおふたりの女性の設計士さんのみだったように思います。
わたしが見てきた範囲ではね。

おふたりとも多大な経験をわたしに与えてくださった素敵な女性です。
今でも深謝しています。

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