『百年杉』の専門会社 加藤木材

東洋は豊富でパワフルな大自然に
敬意を払わざるを得ない環境であるので
その自然界の恵みの“質”に関しての考慮を重ねていって…
病気になりづらいライフスタルのための「衣食住」として

「着る植物の質」
「食べる植物の質」
「いっしょに住む植物の質」

を思考し続けてきたのが
東洋の思考であり

害がないから自然界のお世話になっているだけで
不都合が生じたら優れた“人間の叡智”によって
治してもらえればいいというのが西洋の思考ではないだろうか。

そしてその“人間の叡智”に関するアワードがノーベル賞。
永遠に“人間の叡智”のみに価値があるという思考は
もはやシステムとしても完結しているのである。

オリンピックの競技もそうであろう。
もともとは動物捕獲や他の人間との“戦い”のための技量の争いという
そのすべては「殺し方の比較の祭典」ともいえるのである。

自然界よりの負荷のかからない人生は
その分、お勉強する時間もとれるから
お勉強はできるようになるのだが
感謝の相手が“人間ばかり”になりがちなのである。

いまであれば
ワクチンがわかりやすい。

一見、人類を救う行為のようにも見えるのであるが

農薬も除草剤も核爆弾も原発も…

それこそかつては優れた“人間の叡智”と考えられてきたモノなのである。

「ワクチンで防ぐ。クスリで治す。」という西洋の思考じたいに
“過ぎた”危険性を感じるのはわたしだけだろうか。

農薬も除草剤も原発も一瞬の問題解決をもたらしたが
やがて実に厄介な長期にわたる弊害をもたらしてきたことは
周知のとおりである。

反作用×1万倍だったではないか。

しかし東洋も良いことばかりではない。

東洋は“薬草”を育む多様なパワフルな自然があるので
その自然に畏敬の念を持つメンタリティになるのであるが

常に多様な自然の猛威にさらされ続けているので
西洋のようにじっくりと思考する時間がとれない。

地震や台風や津波や河川の氾濫から
流されたコミュニティからのリビルドばかりに時間を費やすので
じっくりと考え事をする時間=学習する時間が無いのである。

「理想ばかり言ってても食っていけないんだよ!」
「水に流そう。」
「くよくよしていてもしょうがない!根性で手を動かせ!」

という未だに続く“昭和の男”のメンタリティがわかりやすい。

お勉強する時間が足りない東洋は
人間としての「個」の尊厳に欠ける宿命を持つように思う。

全体主義というか
絶えずキビシイ自然環境に揺さぶられ続けるので
「個」を殺して、わがままを許さずに
人間社会の生き残りと継続を優先する価値観につながるのである。

東洋に中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国という
2つの本筋?の共産主義国家があることは
この多様な自然環境とは無縁ではないと考える。

この2つの東洋の共産主義国家が
根源的な共産主義と、どれくらい近いのか遠いのかはともかく
わが国も、ほぼ共産主義と言っていいくらいの感覚は
よく持つものである。

この国の最大かつ最重要のことは「世間体(せけんてい)」であって
「世間の目」である。もう永久不滅にランキング第1位なのである。

先の大戦の期間中は
「欲しがりません!勝つまでは!」と共有し続けて
若い人材を殺し続けて
敗戦後はそれらを主導してきた軍人や学校の人間をパージするのである。
「あいつらが悪かった!」という思考の継続である。
自己反省という…賢くなる機会を逸し続けて焼野原に家を建てるのである。
他者のせいにし続けるメンタリティである。

今でもそうであろう
自分たち市民側の無知や無教養を恥じずに
政治家の悪口ばかり言い続ける国民性である。

政治を素晴らしくしたいのであれば
「有権者の質」を上げるしか方法はないはずである。
しかしそこが上がりづらいのが東洋である。
なにしろ復旧~復興の連続で
思考を積み上げていく機会が極端に無いのである。

この国の資本主義でも共産主義でもない
「世間体(せけんてい)主義」という憲法は
実際にCOVED19感染者という
いたわるべき、弱った病気の人間を差別して
引っ越しできない事情の方々には
自殺にさえ追いこんでいるのであるが
主要メディアは見て見ぬふりである。

はやり「COVED19への恐れ」を大きく維持し続けることによって
利益を得続ける個人や企業があって
主要メディアは、そこと密接な関係性があるのであろう。
そう考えざるを得ないよね。これだけ続くとね。

ワクチン接種に関しても
「世間体主義」から考えると
接種を拒む人間は
「わがままな自己中心的などうしようもない人間」であって

「お前みたいな人間がいるからCOVED19は無くならないのだ!このアホ!」であろう。

マスク強要の「世間体主義」は
おそらくは「防衛の意識」であろう。

「自分はマスク装着によって
ウイルスから守られている。
マスクしていない人間は不用心極まりないから
たやすくCOVED19に感染して、ウイスルをまき散らす。
自分のことしか考えないバカ者のせいで、わたしたちは苦しむのだ!」

マスク装着による防衛力?向上は
おそらく1%もあるかないか…であろうから
精神的な「やりがい~笑顔~友人や家族」などによる
数割増しにもなるであろう…自己免疫力の違いからすれば
あまりにも非科学的な強要の連続である。

嫌な人間といるだけで胃に穴が開き
いなくなっただけで穴が修復されるケースがあることは
科学にて立証されているはずである
笑顔or泣き顔という精神的環境による
自己免疫力の差異は数割くらい違ってくるのであろう
それに比べればマスク装着の効果など誤差の範囲以下であろう。
限りなくゼロに近いはず。

わたしが15年くらい前に
「杉で健康」のような気持ちを持つようになった際に
あるドクターが
「軽々しく“健康”なんて言ってるんじゃないよ!あなた。
“健康の定義”から調べてみなきゃね。」と言われて

WHOの健康の定義を調べてみると…
心と身体の心身だけでなく、霊的(spiritual)にも良好な関係性でなければ
健康とは言えないことを学びました。

「墓参り」もそうだし
その土地にいる霊との関係性もそうであろう。

心と身体だけでなく、霊とも良好な関係性の継続が
「健康」には必要と学んだわたしが
単なるワクチン接種のみで健康になれるとはもちろん考えられない。

「一粒飲んではい!健康!」なんてCMの商品はウソだと思うのである。

ですから国家と対症医療学会と主要メディアに乗せられて
ワクチン接種で、はい安心!…というのは
わたしにとってはあり得ない行動である。

わたし個人の健康面でのリスクもそうだが
わたしはもう8,000人以上ものこどもたちとワークショップをしてきたし
いっしょに【百年杉】の課題作品の制作をしてきた学生だって数百人を数える。

目先のことだけではなく
「森と海は河川を通して永久につながっていること」を
伝え続けてきたわたしが
目先のことのみを考えて
ワクチン接種するわけにはいかないのである。

「あの“杉のオジサン”も接種したんだから…」

によって“若きいのち“を
リスクにさらすわけにはいかないのである。

ワクチンやクスリで問題解決という
過ぎた西洋の対症医療の考え方にはまったく賛同しかねるものである。

東洋の思想としての
「病気にならない衣食住」の思考と方策を継続して
いざとなれば、自然界に存在するパッケージである“薬草”の
お世話になるのが筋であろう。

そして緊急行動的な対症医療のお世話になるのは
最終段階で充分であるし

わたしが死ぬことは確実に訪れる未来なのである。
「明日死ぬ。」となればさすがにキツイのですが
2週間くらい先の自分の死であれば
それをゆるやかに受け入れられる人間になりたいと思うものである。

まずワクチン接種…という思考には異議を唱えたい。
その前に【百年杉】だろ(笑顔)。

(つづく)

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