『百年杉』の専門会社 加藤木材

エビデンスとは科学的立証のようなことであり
世にはまさに「エビデンスバカ一代」のような輩が
肩で風切って歩いている。

あまり近寄らないようにしているが
科学を万能なモノと考えているのだから
始末が悪い。

まず科学はゼンゼン万能ではなく
たとえば時間軸に関してほぼ無力である。

「こんな家に住み続けたら…そんなもん食い続けていたら
病気になるよ。」と経験的な助言をいくらしても

実際に病気になった際に
その原因を「衣食住の質の悪さ」として立証するのは困難である。
なぜなら科学は時間軸に関してほぼ無力だからである。

科学による「ただちに影響はない」とは
「科学はただちにおこったことしかわからない。」であり

四谷怪談のように
ジワジワと「衣食住の質の低さ」によって
弱って死んでいっても
毒殺としての捜査は永遠に開始されないのである。
やはりお岩さんのように化けて出るしか方法は無いのである。

化学物質のやることは殺人ではなく殺人教唆のような行為で
しかも完全犯罪なのである。
だから今も明日もワンサカ現れます。

最近であればワクチンにいたっては
もはや1700名超えの方々が接種直後に突然死していて
接種を勧め続けてたら…半年で6万人以上の人間が例年よりたくさん死んでいるのに…
それでも「科学的な立証は認められない」そうである。

3回目接種促進期の22年2~3月の死亡者数は前年同月を大きく上回っている

つくづく
一度体内に入ってしまえば
エビデンスバカ一代には
立証困難で逃げ切られてしまうのですから
「人造化学物質の体内への取入れ」には
慎重にあり続けたいものである。

話を元に戻そう。前話の最後に
「杉でなんで眠れるの?」の答えとして

「ホモサピエンスという生き物が
そういうプログラミングを有する生き物だから」

という感じでわたしはとらえていると記しました。

ずいぶん乱暴な言い分だなぁ…と
お感じの方も多かったと思うのですが
このような「経験学問」ともいうべき話は
実は結構あるのである。

たとえば「幼児がニガイ味を嫌がること。」

これは
「毒性物質の誤飲食時に
吐き出すことによって
身を守るためのプログラミングのようなもの」

だと考えられています。

そのような記述の文章は
おそらく世界中でこれまでに
千を超え数万単位でしょう。

しかし、その科学的な立証はされていない。
しかし、おそらくそうであろうと
全世界の人類が納得して語り継いでいるのである。

同様に
「高カロリーの食べ物を美味しく感じる」ということも

生き残る確率を引き上げるための「食いだめ」のようなもので
餓死者が珍しくなかった人類の進化の過程において
食える際に高カロリーな食べ物を食べて
生き残る確率を引き上げるように
人類に設定された
プログラミングのようなものだと考えられています。

わたしたちがラーメンのスープを美味しく感じて
飲み干す誘惑にかられることは
わたしたちが誘惑に弱い意志だからなのではなく
あらかじめプログラミングされたことのようなのです(笑顔)。
そう…仕方のないこと。

自然界の高カロリー食品と言えば「栗(くり)」。
おそらく栗が嫌いな人類は
ほぼいないのでしょうね。

飢饉が多くあった江戸時代においても
下流域の里では多くの餓死者が出ていても
何百年も餓死者がでていない東北地方の中山間地域の集落では
「共有の森」としての栗の木が周辺各所に多数あって
それをみんなで「食いつないで」生き残ってきたとの話を読んだことがあります。

似たような話に
「将来を見据えた思考と判断より、面前の事象の選択を優先する」
というのもあります。

これも将来を見据えて今、死んじゃっては「絶えて」しまいますので
人間は目先の利益優先で決断する思考をプログラミングされているとの話です。

もっともだからこそ
アイヌや世界中の「(共通の)先住民族の教え」として
「迷ったら数代先の気持ちになって考えよ!」という戒めがあるのでしょうね。

わたしたちは目先のことのみで右往左往する動物に
プログラミングされているのです。

このように
エビデンスが得られなくとも
ストーリーとして…
「こういう理由によって
こういう仕組みにわたしたちの身体のいとなみはできている。」
と考えられているという
言わば「経験学問」はたくさんあるのです。

学問不信のようなことを書いていますが
素晴らしい先生方はいらっしゃります。

わたしが2015年に受講した「杉を科学するセミナー」に登壇された
岐阜大学の光永 徹博士の発表によれば
マウス実験において

10分間杉の香りをマウスに嗅がせただけで
その10分間だけは交感神経は60%程度ダウン(抑制)されていて

さらに驚きなのは
副交感神経にいたっては
その10分間だけでもおよそ3倍ものアップ(鎮静効果の増大~弛緩)になっていて
香りが無くなって30分程度も
その余韻(よいん)からか
5割アップ程度の副交感神経優位の弛緩は続いているのである。

杉の香りの吸引によるマウス実験

「交感神経+副交感神経=自律神経」であって
自律神経の理解が浅い方も多いかもしれませんから
軽くご説明しますと…

ようは「太陽と月」、「昼と夜」、「陰と陽」のようなモノであり
生きていくには両方必要なのだけれど

眠りの前には交感神経不要で副交感神経のみが求められているわけでして
まさに寝室とは「眠るための部屋」なのですからね。

ゼロになれる。リセットできる環境の部屋をひとつ作って
それを寝室にして生きていけばいいのであって
そのためになくてはならないのが杉なのである。

どんなに能力があってもお金があっても
わたしたちは同時に二部屋には存在できない。

もっとも落ち着く部屋を一部屋つくることが
家づくりの「イロハのイ」であってスタートなのである。

杉無き豪邸を建てて
眠れない部屋ばかりじゃね。

「お金儲け」というゲームには強くても
「お金の使い方」という見識に乏しいから
自分のためのお仕事の建築業界にサクツっとやられてしまう。

建築業界人より先に
植物業界人であるわれわれのところに来なきゃ
「眠れる寝室」の構築は困難なように思えるのだが
いかがであろう。

似たような話に博物館の収蔵庫がある。

博物館の収蔵庫は杉が無くては成り立たないのである。

庫内に杉を張りめぐらさなければ
この国の「宝物」はカビたり干からびたりしてしまうのである。

人間の叡智という
数千万円のエアコンやガラスケースやプラスチックのみでは
宝物がダメになってしまうから
博物館の収蔵庫は「杉頼み」なのである。
科学のみではグダグダのグチャグチャなのである。

もちろん人間の叡智にもお金を払うべきであるが
現在のこの国の建築は人間に「払い過ぎて」いるように思うものである。

かつての料理の鉄人の道場六三郎さんの名言があります。

「旬の食材を選んだ時点で勝負ありである。素材が決まった時点で決まりなのである。
わたしたち人間ごときが、旬の素材を超えるような技巧などあろうはずも無い。」

人間の叡智にお金を払い過ぎて
いっしょに住む植物の適材適所やその質に対して
お金を払わなさ過ぎでは

眠れる寝室などできるはずもない。

(つづく)

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