不思議な感覚でした。
平塚に「床敷き」に行きました。
賃貸物件だから…釘で留めないから「床敷き」。
依頼人さまはシングルの女性。
いわゆる日曜大工っ気はゼロとのこと。
依頼人とふたりで床を敷いていきます。

床材は【200年杉】。
運良くと言いますか…「意志」ある方は自ら引っ張ってきますから
「たまたまあった。」のではなく「ある」。

カッターナイフを手渡して
「床材の開封」を依頼人にお願いしたのですが
開封した瞬間。「あっ!」っと小さな声(聞いた気がします)と共に
彼女の目から涙が…。
「自分でもビックリ!わたしって、もっと科学的な人間だと思ってたのに…」
と…素敵な笑顔。

「このヒト(←200年杉の板のこと)たちの艶やかな個性を見ていると…」
「わたしは杉をなめていたのかもしれませんね。ほんと凄い。」
彼女は我が家にお越しになった
木を素材ではなく“いのち!だと認識しているようです。
もちろん、わたしもそうです(笑顔)。
「654ミリ強めで…」
「ね!1ミリって大きいよね。」
「1ミリの大きさを、こうやって作業して初めて知りました~(笑顔)」

「置くだけ」だから、動きづらくするために長さ方向はキツキツに入れたいのです。
彼女が採寸していって、ぼくがカットしていって彼女がはめていきます。
「敷きかけの床の上でお弁当を買ってきて食べよう!」…って言ってたのに
途中からわたしに気を使って美味しいお店があるから…って言いだしたんだけど
「やっぱり、お弁当にしましょう!」とお伝えして
200年杉の上でランチをいただきました。

宇宙の話…ヒトはなぜ?の話…時間こそが必要であり重要な話…
いろんな話ができて、とても楽しかった。
木を「素材のひとつ」としてみるのか…「いのち」として感じるのか…
こればっかりは教えられないし
演じてもすぐに馬脚を現すでしょうしね。
でも弊社の依頼人のほとんどは女性で
やはりその多くの方々は…
「この子…このヒトたちは…」のように
杉をモノではなく“いのち”としてわたしに表現されます。
それが共有できる者同士だからこそ
「話しあえる領域」があるのでございます。
八百万の神々の国だもんね。

現代建築の大きな問題点として
住まいの中に“いのち”の存在を感じられない点があるように思う。
だから大切にしないし、“いのち”の先の思考も無い。
だから、だから!損得と恥をかかない判断で終わってしまう。
床が変わって“いのち”を感じる毎日になって
依頼人は本来の自分を取り戻していく。