『百年杉』の専門会社 加藤木材

どっかの党にやってほしいのだが
一度真面目に書いておくことにする。
まぁほとんどのヒトには理解不能かもしれないけどね。

教育改革「共育」論(いつにも増してさらに長文)

まず防衛費増額を語る党には投票しない。
3度生まれ変わっても絶対に入れない!

ホモサピエンスは戦って勝つことによって
生き残ってきた生物であるのだが
いいかげん「戦わない世界」の方法論に
真剣にコミットすべきである。

コスタリカはあの場所にあって
軍隊を持たないのである。

今の戦争は
兵器的には「米国vsロシア」なんだよね。

米国はその戦争当事国に
兵器を供与で関与→兵器産業振興で
「止める」気はゼロ。
火に油を注ぎ続けている。

「日本も危ないかもしれないから(兵器を)買えや!」
にて米国の経済振興。

米国に完璧にやられている政治屋が
防衛費増強だからね。
軍拡政党には投票しない。

今、おそらくこの国が
優先順位1位ですべきは
軍事費積み増しではなく

幼児~義務教育期の「教育」を
「共育」に変える
劇的な変換であろう。
ほぼ、そのすべての政策をペインディングして
そこに結集すべきである。

以降、逃げずになるべく
具体的に記していく。

すべての学校の先生方にも
「変わって」いただくしかない。
考え方を変えるか、人材を変えるかである(重要)。

現在のこの国の
「必ずある正解を早く解いた人間が優秀」
という教育的評価を改める。変える(断言)。

「正解」がある問いを早く解答できるということは
たしかに高能力風(ふう)なのだが

現状のそれらは、単に学習塾に行って
教科書を「先回り」しているから
成績が良くなっているだけのことである。

学業のペーパーテストが2回目だから
「書き損じ」が少なくなって
成績が良くなっているだけなのである。

人間力向上にはまったく役立っていない。

学習塾がどうこうではなく
「天気予報」を見ていたから
傘を持っていて高得点というだけの
アホらしさである。
なぜ?そこを見て見ぬふりをするのであろう。
くだらん。

子どもが伸びているわけではないのである。

やはり人生のアプローチとしての「正解」は無いし
必ずある「正解早く見つけ法」のみで
優秀性を評価してしまうと
過ちにつながりかねない。

繰り返すが
人生のメソッドとしての
「これだけやっときゃいいのさ。」という
正解や必勝法は存在しないのである。

しかし、それでも思考を継続してあきらめないメンタリティこそが
人類共通の「思考(頭脳)の根性」であろう。

さらに「正解」とは
何をもって正解とするのかという「問い」である。
「正解」は無いのだが
言い方を変えれば「あっても刻々と変わる」ものであるはずである.

分子生物学的には
人類は遺伝子的に
目先の損得という「正解」を選ぶように伝わっているからこそ
絶滅せずに生き残ってきたということである。

自給自足の生活から
換金作物の生産になって
お金を得て
生活の物質が豊かになるという選択は
悪い選択ではないはずである。

しかし、単一の換金作物の生産は土壌を汚し
環境を破壊していって
競争力に勝る収穫物を望む気持ちは
安価な代替可能な労働力を望んで
人権を蹂躙していく。
持続不可能である。あとはエンドまで坂を転げていく石になってしまう。

私たち自身が
この目先の損得のみの選択をすることによって
生き残ってきた生き物であるという自覚を知り

さらにはそれらの「思考~行動」が
文明の高度化が伴った現在においてはもろ刃の刃であって

わたしたちのお利口な目先の選択が
「持続不可能な…やったもん勝ち」になる危険性をはらむということを
「共育」の過程で知り
まず人類の抗えない
「目先の損得ジャッジ」というプログラミングの自覚を
子ども時代に得ることを大きな目的とするものである。

ようは「共育」期とは
具体的には原発がまさしくそうだが

「やったもん勝ち」になりがちな
人類の特性を理解する期間ということである。

そして「やらなかったもん賢さ」につながるような思考と行動を
それぞれが自分の得意分野にて貢献することが
仕事であるという点を理解して
子ども期の終わりとするのである。

またスポーツにおいては
「試合」とは
面前の相手との勝負ではなく
過去の自分との比較において
精進を確認する機会ということを
重ねて理解できる環境を作っていく。
「試」は機会であるのだが
「合」は以前の自分であるはずである。

「勝利至上主義スポーツ」の昭和のジジイや
その薫陶をうけたコーチたちには
傭兵にでもなってもらって
「共育」の場から去ってもらう。

こればかりは「(人間が)変わってもらう」のではなく
「去っていただく」形しかとれまい。
この世の森羅万象を「勝つか負けるか」のみの尺度のみで
感じてきた人間はおそらく変われまい。

なぜなら
「勝つためには殺すのもやむなし」
が彼らの最終到達点であるからである。

そういう指導者を製造しつづけてきた大学は
即刻、廃校にすべきであろう。

陸上女子に鉄剤注射。
多くの女性が後遺症に苦しんでいる。
もちろんこの国には報道は無く
権力者の広報に過ぎないから
そういう報道は大きくされないままである。
それでは悪魔の指導者はいなくならない。

指導者も酷いが
注射を打つ医師の拝金主義もヒドイ。
なぜ傷害罪で逮捕されないのであろう。

勝利(拝金)至上主義とはそれくらい醜悪な思考である。
だから、案外、優秀な傭兵の輸出産業になるかもしれないね。

また男女とは違う生きものであり
その特性を理解しあうことと
「逃げない愛の裏付けを持った性共育」を
徹底していく。

性の違いの理解無く
ただただ男女「平等論」のみを述べている
現状を改める。

男と女はまったく違う生き物なのである。

そして身体とは違う
性別をもった人間も普通に生まれてくるし
そういった方々が社会に居場所があるどころか
きわめて特殊な能力やセンサーをお持ちの方も多いので
そういう発想を
「やらなかったもん賢さ」に
生かさせてもらうことの
大切さを知るものとする。

「違うからおかしい」のではなく
「同じじゃおかしい」を
価値観とするのである。

そして「共育」後期には
人間という「からだのいとなみ」についての時間を長くとる。

「からだに良いことをしよう」とか
「調子が悪くなったらお医者さんにクスリで治してもらおう」ではなく

クルマを運転するだけでなく
クルマの動き方の仕組みを知ることによって
多少の不都合は自分で修理できるような
「からだのいとなみの理屈」を学ぶのである。

「ママやパパになる意思を持っているならこの授業は重要だからね~。」

と始業前の声掛けも忘れてはならない。

「お医者さんのお世話にならないための
日常生活ってどんな生活なんだろう?」

を生徒同士で考え続けるのである。
そういった具体策を考え続ける過程において
「衣食住の質」の重要性という問題を教えるのではなく
「気づき~思考しはじめる」期間とするのである。
何事も「教えて」は身につかない。
「気づき」なのである。

地域の「衣食住」のお仕事の方々の話を聞いて
なぜ?「衣」の自給率が国家として3%しかないのかを
自分から考えていく機会とするのである。

わざわざ素晴らしい「衣食住」の方を
遠くからお呼びすることなど必要ない。

その地域の身近な酷い状態の「衣食住」の現状と
わたしたちが望む「衣食住」とのギャップこそが
子どもたちにとって最大の教材になるはずである。
(たとえば東京都の食料自給率は1%ではなくゼロ%である)

こうやって「所有~占有」のための
「正解」を得る喜びだけでなく
「共有~共育」の喜びを得るために
個々の価値観の違いはあっていいので
思考の継続の重要性に気づき
多少は身についたあたりで
「義務共育」期間の終了とするのである。

またやはり人類は哺乳類として
協調性を得ることによって
いのちを守ることを覚えながら進化してきたので
遺伝子的に
「孤独」を恐怖と考えるようにつくられているという。

だから、まず己を知る。
ホモサピエンスの宿命を知る。

そこに留意しつつ「幸せ」になりたいという気持ちを
どこまでもうやむやにせずに
具体的に考え続けていく。

最終的には

「あなたに会えてよかった。
あなたは代わりのいないかけがえのない存在だわ。」

という言葉や気持ちが
「個」にとっての人生最大の喜びではないか。
というあたりに行きつくはずである。
お金も大切だが
そのあたりではないのだろうか。
いかがなものであろう。

相変わらず政治屋どもは
わかっていないが

少子化が加速するのは
子どもが生まれた瞬間に
金銭的には
まるで数千万円の借金を背負うようなことだということを
「目先の損得=正解」を早く解答することのみを
「教育」として学校から教わってきた
子ども→大人たちが理解しているからである。

SEXは相手も喜ばせなければならない責務を負うから
責務不要な行為に走るのである。
やはり学校で教わってきた
「正解」=「目先の損得」の結果なのである。

数千万円の借金に値する「宝のような経験」や
愛のあるSEXの
エクスタシーを超えた「満ちた心」について
そこに「気づく」ことを小~中学生程度までにせずに

家族で浦安通いでは
少子化も止まらないであろう。

大企業において
システム化されたチェーン店のような
仕組みの歯車として働き…

尊厳を有する「個」として評価されたうえでの
お仕事の発揮など無い
「替えのある歯車」にすぎない自分を
忘れて発散するために

兵器と同じように
最終的なお金が米国にいく
「浦安の園」の依存症になっての
解消なのだから
まるで奴隷を超えた家畜であろう。
つくづく高学歴な家畜ばかりの国になってしまったものである。

ファストフードも浦安も
「子ども半額」作戦にて
「若き依存症」づくりには余念がないからね。

「正解は無い」けれども
自ら思考し続けることをあきらめてしまった瞬間に
われわれは米国型効率型システムに蹂躙されて
あっという間に家畜になって
多少運が良くても
家畜の「親」になってしまうのである。

泣けてくるよね。おっかさん。

有限会社 加藤木材
〒350-1312 埼玉県狭山市堀兼2348-1
TEL 04-2957-9444(月~土 9:00~17:00)