ジッタリンジンというバンドをご存じか?
そして、「プレゼント」という曲をご存じですか?
歌詞はこんな感じ。
♪
あなたがわたしにくれたもの キリンが逆立ちしたピアス
あなたがわたしにくれたもの フラッグチェックのハンチング
あなたがわたしにくれたもの ユニオンジャックのランニング ♪
そこで
世界の強国である米国が
もたらしてくれたモノを考えてみました。
だから歌詞の「あなた」を「アメリカ」に変えて考えてみたのですね。
♪ アメリカわたしにくれたもの~ ♪
という感じで歌詞に載せていただきたい。
それでは米国発祥のものを並べてみよう。
以降おそらく…という感じで読んでいただきたい。
違うものもあるかもね。詳しく調べて書いてないからごめんね。
●スーパーマーケット
結果として、八百屋さんとか魚屋さんを滅ぼしてきた感じかな。とにかく「食の素材」を安く大量に供給することが正義という考え方。専門職としてのプライドは無い。
●大規模チェーンレストラン
わが国ではファミレスという分野かな。〇ニーズとかが米国発祥。安く大量にという考え方が素材を超えて「料理」の分野まで自己完結しています。この手の大規模安価チェーンレストランは欧州には無いのでは…少ないのでは…。
●ファストフード
〇ンタッキーフライドチキンとか〇クドナルドとかですね。上記をもっとソリッドにしていった感じかな。もっと安く早く大量にしていってお金に換えるという考え方ですね。売り手側の人間さえも熟練不要で「安く早く」という考え方もあるかな。
●コンビニエンスストア
そしてそれら上記のコンセプトをすべて具現化した形でしょうかね。
「ヒトの幸せのために専門店としてできること」ではなく…
「売れる=お金になることしかしない」お店形態ですね。
専門店さんは、あまり売れなくても…利益率が低くても…
専門店としての矜持(きょうじ)として扱う品目もあるのでしょうが…
とにかく売れるモノしか売らないという考え。
売れればイイのである。
ヒトの幸せのためのお仕事ではなく
「売れる」ことが正義という考え方。
売れるモノしか置かない~やらない営業業務を
「便利(コンビニエンス)」と言い切ってしまう荒業。まさに米国的発想。
そして、これらの米国発祥の「安く早く大量に届けられる“食”!」を支えるための
技術邸な後ろ支えが、「農薬」や「遺伝子組み換え」や「エフワン種」や
または化学物質としての添加物とか
まぁそういう本来持続可能なモノより
安く大量に供給できる裏づけとしての技術でしょうね。
今はもう合併によって会社名は残っていませんが
モンサント社の発展とかは、そこに重なるということでしょうかね。
それではジッタリンジンの「プレゼント」という曲に乗っけてみましょう。
♪
アメリカわたしにくれたもの~
スーパーマーケットの安くて大量な食材。
アメリカわたしにくれたもの~
ファミレスみたいな農薬使った料理。
アメリカわたしにくれたもの~
早く安くの遺伝子組み換えの野菜と抗生物質がエサの肉のファストフード。
アメリカわたしにくれたもの~
いつでも必ず便利の添加物まみれのコンビニ(弁当)。
(安くて、早くて…)
大好きだったけど~身体に良くなかったなんて~
大好きだったけど~生活習慣病になるなんて~
バイバイ マイスイートダーリン さよならしてあげるわ ♪
こうやってパンデミックに数字になるとハッキリしてくるよね。
ぼくは「住まい」の素材の質が
わたしたちの人生に大きく左右しているという信念と確信があるのですが
「食」がこれくらい“いのち”に関するとは
正直思っていなかった。
そう…米国の突出した新型コロナでの死者数は「食の質」が酷い…
というのはあるように思いました。(これはわたしの考えです)
欧州の国々より米国は「食の質」が相当低いのでは…。
死者数=基礎的な疾患を有するヒトにかなり近いのでしょうから
死者数が多い国とは、健康ではないヒトの数が多い国であって
「食の質」がわかりやすいのでは…というのが今回の私の推論。
結局、侵入してくるウイルスから守ってくれるのは
体内の白血球もそうだけど
体内の菌の質量が重要になってくるでしょ。
そうなると英国には標準的な「発酵食」が無いのでは。
あの国は「武器・お金・学問」至上主義のような印象があるし
そして、その国から独立したのが米国だからね。
「食の質」が、もともと低い国から独立したのが米国。
ドイツはなんか、酸っぱいキャベツみたいな発酵食がありますよね。
あれが国民食でしょ。
アジアは発酵食がフツーに豊富にあるしね。
この国は味噌も醤油も日本酒もそうだけど、発酵食は無数にあって
(しかもそれらの製造に必要なのは【百年杉】であるはずだ)
それらを継続的に食することによって
体内には菌の居場所があるのでは…。
その菌が侵入したウイルスを駆逐してくれる。
「発酵食の継続的な摂取が身体にイイ」という立証はされていない。
というのがアングロサクソン的な学問偏重の考え方なのだろうけど
「立証なんて関係ない。こういう食べ物を食べ続けなきゃ“幸せ”になんかなれっこない。」
というのが「医食同源」たる
わが国やアジアの食文化であろう。隣国のキムチなんかもそうだよね。
薬やワクチンという考え方は
違反金・反則金のために貯金をするような考え方であって
ヘンテコキテレツな考え方のように思う。
ようは違反しなきゃいいのである。
ワクチンなんざウイルス増殖のストップが関の山で
肝心のウイルス殺しは自己免疫力しかないのである。
というか…菌を殺す薬=抗生物質はあっても
それより1/50とかの極小の存在である
ウイルス殺しの薬なんて開発できるのであろうか。
できたとしたら、また違う恐ろしい効果がありそうだ。
その自己免疫力の向上と維持のためには
「何喰ってどういう家に住んでるの?」に尽きるであろう。
毎日毎日、対症療法・学問偏重の極端なウイルス報道には閉口気味である。
それらは「ある方向」からの見え方に過ぎないはずである。
モノは上から見たり横から見たり…「見え方のフォルム」は大きく違うはずである。