へでもねーよ
長野県くらい、へでもねーよ。
弊社の体感ルームにお越しになられる方は
関東の方がもちろん最も多いけど、結構遠くからもお越しになります。
静岡、福島、愛知、岡山…沖縄…。
これらは【百年杉】の体感と加藤政実に会って質問するための行為であり手段でしょう。
近くには、似たような場所やヒトはいても、得たい目的は達成できないと考えるが所以の行動であり判断でしょうね。だからわざわざお越しになります。
そしてその逆は「自分の家を見て欲しい。そんなに問題のある空気でしょうか…オーラでしょうか。」ということ。
わたしは「木」だから「気」も多少はわかるしね。
大切なことですものね。長野県くらい、へでもねーよ。
この地球に77億人いても
「木の無い住まいの人間が、【百年杉】とお友達になってからの数か月…数年…10年後の変化…からだのリアクション」について、最も多くの事例を経験として有している人間は、おそらくわたしである。おそらく世界一のトップランナーである。だって誰もやっていないからね(笑顔)。
設計という行為をしたい人間は、「木」とは「使う素材のひとつ」に過ぎないでしょうし…施工という行為をしたい人間も「木」は、「お客さんが欲するなら使用するだけの素材」に過ぎないのであろうが、わたしにとって、杉は素材ではなく“いのち”そのものである。
「住まい」に“いのち”無き方々が、杉という、森の“いのち”を得て、本来の自分を取り戻して、お元気になられることは当然至極のことのように思う。まったく自然な“いのち”の流れである。必要なのはヒトの叡智たる建築ではない。都市部の人間に不足しているのは、森の“いのち”であるはずだ。
「良いor悪い」ではない。
わたしと設計士さん・工務店さんという建築業界の方々はまったく違う種類の人間である。
まったく違う人生観…価値観…目的観…死生観なのである。
それこそ彼らの一神教的な感覚とわたしたちの多神教的な感覚は
信仰する宗教観の違いにも、類似しているようにさえ思うものである。
それくらいに違う。
わたしもすでに56歳を超え
52歳を境に感じている、脳の劣化は日進月歩であり(苦笑)
もはや10年前の加藤政実の4割ほどの脳のスキルのように思うものである。
ただ変わらずにあるのは77億人の誰にもない「杉とヒト」との経験値のみ。
それを生かして幸せなヒトを増やしていけるのであれば
長野県くらい、へでもねーよ。
どこでも行くよ。おれは。
加藤政実が死んじゃったら
この国の木の文化=植物と人間の素敵な関係性の文化は消滅しちゃって
ヒトの設計こそが素晴らしいとか…
このヒト(会社)は日本の木を使うから素晴らしいとか…
素晴らしいのはヒトでしょ!的な…欧州の宗教的な価値観~学術一辺倒になっちゃうと凄く残念かな(欧州の宗教の否定ではなく、そういう学術がすべてになるのが嫌という考え)。
近くの「違う人間」と一緒にいるより
遠くの「一緒に話し合いたい人間」といる方が
ヒトは多幸感を得るはずである。
長野県くらい、へでもねーよ。