CWニコルさんが天に召された。
彼とのいきさつは、何かで書いた気がします。
もう、20年以上前になりますが、わたしは地域の青年会議所(JC)の活動の一環として
環境問題を取り上げたイベントの中核にいました。
チケット+空き缶を持ってこなきゃ入れないビギンというバンドのライブと
ニコルの講演会を別の日に実施しました。
当時のニコルは、まさに旅人って感じで、かっこよかった。
北極のイヌイットの生活に相当のめり込んでいて
北極に行く資金のために、いやいや講演を引き受けている感じでした。
ぼくはビギンの担当だったんだけど、メンバーの3人もニコルの講演会をわざわざ聞きにきてくれて、「旅慣れたカッコよさだよね。」なんて言いあったのを覚えています。
そういえば開高健さんが亡くなったばかりで
講演の中で長良川河口堰の裏話を披露していましたね。
講演終了後にビギンの3人連れて控室に行ったら
ニコルが「お前たちの音楽は日本の中ではチェッカーズの次にイイな(爆笑)!」って
ノリノリで、マネージャーさんに「缶ビール買ってこいや~!」ってことになって
狭い控え室で缶ビールで語り合ってました。
ニコルは懇親会不参加と、はっきりと事前に取り決めが成されていたのですが
「話足りないから、いく?」みたいな感じで
急きょ、わたしたちスタッフの打ち上げ懇親会にニコルとビギンの4人が登場!
宴会はいきなりクライマックス!でした。そりゃ盛り上がりますよね。
来ないって言ってた主役がビギンを引き連れてやってきたんだからね。
乾杯のあいさつはニコルで、一切のスピーチは無く
「お前たちはサイコーだ!飲もうぜ!!」だった。
長々と話す講師多いけど、かっこよかった。
中華料理屋の円形テーブルに着座して
そこでぼくはニコルにいきなり話し出しました。
今思い返しても、なんでそんなことをしゃべりだしたのか…わからない。
ただ、その一瞬を逃したら永遠に彼に話をする機会は無いとは思ったかもね。
たくさんの先輩方が入れ替わり立ち代わりにあいさつに来られるでしょうからね。
「ニコルさん、ぼくは木を売る仕事をしています。それが嫌でたまりません。
環境を破壊しているような仕事。切られた木を売る仕事が嫌なんです。
どうしたらいいでしょうか?」
のようなことをぼくは言い出したのだ。
まったくもって、まるで子どものようである。20歳代後半の社会人とも思えないよね。
ニコルはこう言った。
「加藤君、あなたはまだ若い。だからもっと勉強しなさい。日本の山、林業…おそらくこれからもっと大変ことになる。その時にあなたの力が必ず必要になる。」
「ありがとうございました。」
彼は正解を言っても自分で到達しなきゃ身につかないことを知っていたのであろう。
当時はインターネットも無い時代でしたので
すぐに新宿の紀伊国屋書店に行って、上村武先生の“木の本”を買ってきて
仕事を終えてから。大学ノートに写して記憶に努めました。
そうして目からうろこ。
「木は栽培可能な資源ではないか!木材販売業こそエコなお仕事なのではないか?!」
に気づき
「木を使おう!」と自信をもって言えるようになり…
樹齢200年の外国の木を日本で使って35年でぶっ壊している矛盾に気づき
「日本の木を使おう!」になり
実際は日本の木と言っても、木材の活用と環境の両立を図るには
杉しか無いことを知り
杉は昔から好きだったので
杉に特化して探究をし続けて、今に至る…という感じである。
ニコルから言われた「あなたの力が必ず必要になる。」には
まだまだ到底追いついていないのが、心底恥ずかしい限りである。
ニコルさんはアースデイTOKYOの実行委員長を務めておられて
数年前のアースデイTOKYOの帰り道に歩道橋の上で
彼にちゃんとその節のお礼を言えたのが、唯一の救いである。
もちろん、ぼくの名前は憶えていなかっただろうけど
ビギンとのイベントのことは憶えていて、深謝を伝えると…
「あぁあの時の子か。なんとなく覚えているよ。」って言ってました。
そのアースデイTOKYOも2週間後に迫ってきましたが
新型コロナウイルスの影響で代々木公園ではやらなくてオンライン開催とのこと。
開高健さんは息を引き取る間際に
この国の豊かな自然環境をニコルに託そうとお電話をされたそうだが
ニコルさんはいったい誰に託そうと思われたのであろうか。
託さずとも安心とのお気持ちではなかったのは
残念ながら間違いのないところであろう。
いまさらながら、わたしは森とヒトをつなげ続けて死ぬまでである。
合掌。